解読の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/04 23:41 UTC 版)
原エラム文字は未解読のままであるが、多くの文章の内容は判明している。これが可能なのは、特定の記号、とくに数値記号の大部分が、隣接するメソポタミアの文字体系である原楔形文字から直接借用しているためである。加えて、いくつもの原エラム文字の記号はそれが表現する事物の実際の形をかたどっている。しかしながら、大部分の原エラム文字の記号は抽象的で、その意味は注意深いgraphotacticalな解析によってしか解読できない。 エラム語は原エラム銘文が表記している言語のありそうな候補として提案されているが、これに対する積極的証拠はない。最初期の原エラム銘文は純粋な表意文字で、いかなる言語情報も含んでおらず、Fribergによる1978-1979年の古代近東の計測学の研究以降は、解読の試みは言語学的手法から離れた。
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解読の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:16 UTC 版)
他の未解読文字と同様、ロンゴロンゴについても多くの奇抜な解釈や、解読したという主張がなされてきた。しかしながら、ある文字板の太陰暦と関連があると思われる部分以外は、文字板の内容はまったく解明されていない。ロンゴロンゴが本当に言語を書き表した文字であることを前提とすると、解読に3つの問題点がある。1つは、現存しているテキストが少ないこと、2つ目は挿絵などの、テキストの解釈に役立つような、文字板の背景に関する情報が不足していること、そして3つ目は、古い時代のラパ・ヌイ語の詳細が解明されておらず、現代のラパ・ヌイ語はタヒチ語の影響を大きく受けているため、文字板に記された言語と現代ラパ・ヌイ語の間には大きな相違があると考えられることである。 広く支持されている意見の1つに、ロンゴロンゴは言語を表記するための文字体系ではなく、原文字、あるいは系図や、踊りの振付、航海術、天文学、農業などに関する知識を、記憶するための記号である、というものがある。例えば、オックスフォード大学が出版している言語百科事典 Atlas of Languages では、「おそらく記憶の助けのためか、装飾目的のものであり、島の住民の言語であるラパ・ヌイ語を記録したものではないだろう」と説明されている。もしこれが本当ならば、ロンゴロンゴが解読される望みはほとんどないであろう。 一方、ロンゴロンゴが文字であると考える人々の間では、それが本質的に表語文字なのか、あるいは音節文字なのかについて意見が分かれているが、純粋にいずれか一方のみからなるのではない、という点では一致しているようである。 01020304050607080910141516 22252728343841444647505253 596061626366676970717476901 919599200240280380400530660700720730イゴール・ポズドニアコフとコンスタンティン・ポズドニアコフが、2007年に発表したロンゴロンゴの新しい絵文字目録。風変わりな「サンティアゴ杖」にある絵文字を除いた、全絵文字の99.7%が採録されているとされる。
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解読の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 06:32 UTC 版)
暗号の天才と呼ばれ、第二次世界大戦時に数々の暗号を解読した(日本軍のパープルコードを解読したことでも知られる)ウィリアム・フリードマンが1945年に解読に挑戦したが成功しなかった。なお、フリードマンは暗号というよりも人工言語の類ではないかと示唆している。 レオ・レヴィトフは1987年に出版した著書で、浴槽に浸った女性の絵は12世紀から13世紀頃に南フランスで栄えたカタリ派の「耐忍礼(endura)」の儀式を表しており、また言葉はフラマン語を基にしたクレオール言語で書かれているとした 。手稿全体もカタリ派の教義書か関連文書であると主張したが、彼のカタリ派に関する主張には誤謬があることが指摘され、また解読の方法も非常に不自然で恣意的に原文を再構成できるような方法であり、誤りに過ぎなかったということが確認された。 2014年、ベッドフォードシャー大学の言語学者、スティーブン・バックスが手稿に描かれている挿し絵の植物のアラビア語名およびヘブライ語名、またその他の中東の言語における呼称を手稿中の文字の出現パターンに当てはめる手法によってヴォイニッチ手稿の一部解読に成功したという論文を発表しており、それによれば印欧語族に属する言語ではなくセム語族あるいはコーカサス諸語に属する言語、またはさらに東のアジア人の言語で記されているという。 2017年9月、イギリスのテレビ作家のニコラス・ギブズは、この書物が婦人の健康に関する医学書であるとする説を発表した。彼はヴォイニッチ手稿の文字はラテン語の単語の略号であると主張し、また中世の医学書とヴォイニッチ手稿の類似性について考察している。 2018年、カナダ在住の電気技師・アメット・アーディックがトルコ古語に似ているという説をジョンズ・ホプキンス大学のデジタルジャーナルに論文として投稿し、2018年3月現在査読を受けている。 2019年、ブリストル大学の言語学者、ジェラード・E・チェシャーによりドミニコ会の修道女がアラゴン王国女王であるマリアのために俗ラテン語で記述した生活に関する参考書という説が提唱された。 この手稿は一種のアウトサイダー・アートであり、解読しようとする試みそのものが無意味であるとの意見も存在するが、仮説の域を出るものではない。
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