原文字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/01 00:33 UTC 版)
「通信技術の歴史」も参照 紀元前4千年紀後半の、初期の文字体系は突然発明されたわけではない。それらはむしろ古代の記号体系の伝統に基づいている。それら古代の記号体系は厳密には文字体系と分類できないが、文字体系の多くの特徴を強く連想させるので、原文字 (英語: proto-writing) と呼ばれることがある。それらは表意的な体系や、ある種の情報を伝えることのできる初期の簡略記号であったかもしれないが、おそらく言語的情報が欠けている。これらの体系が出現したのは前期新石器時代、紀元前7千年紀ごろだが、もっと以前の可能性もある (en:Kamyana Mohyla)。 特にヴィンチャ文字は紀元前7千年紀の単純なシンボルに始まり、紀元前6千年紀を通して徐々に複雑さを増していき、紀元前6千年紀のタルタリアのタブレットで記号の行が注意深く整列され、「文章」の印象を与えるまでに達した進化を示している。古代中近東の象形文字 (エジプトヒエログリフ、シュメールの原楔形文字およびクレタ文字) はそのような記号体系から継ぎ目なしに進化したもので、記号の意味はほとんど解明されていないため、正確にどの時点で原文字が文字に進化したと言うことは難しい。 2003年、亀の甲羅に彫り込まれた賈湖契刻文字が中国で発見され、放射性炭素年代測定により紀元前7千年紀のものと判明した。甲羅は中国北部河南省賈湖で発掘された24の新石器時代の墓に、人骨とともに埋められていた。一部の考古学者は、甲羅の文字は紀元前2千年紀の甲骨文字との類似性があると主張している。しかしながら、他の考古学者は十分な証拠がないとしてこの主張を一蹴し、賈湖の亀甲で見つかったような単純な幾何学模様を初期の文字に結びつけることはできないと主張している。紀元前4千年紀のインダス文字も同様に原文字の一員であるかもしれないが、おそらくすでにメソポタミアで出現した文字の影響を受けている。
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