原文良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/17 02:44 UTC 版)
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原 文良(はら ふみよし[1]、1919年〈大正8年〉[1] - )は日本映画の照明技師。栃木県出身。
経歴
日本郵船の船乗りとして5年半欧州、サンフランシスコ、南米航路を周る[1]。その後微兵され、通信役務で電気関係に詳しくなる[1]。終戦後は運送会社に勤務するが東宝にライトを運送したのがきっかけで1947年に同社の照明部に入社する[1]。黒澤明や成瀬巳喜男などの監督作品に参加した後、1954年に岸田九一郎の補佐として特撮映画の照明助手となる[1]。1967年に『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』で照明技師に昇進[2]。それに伴いフリーとなった[2]。
人物・エピソード
第二次世界大戦中は、幸運に恵まれ、度々九死に一生を得ている[2]。日本郵船時代には、母が死去し下船したところ、乗船していたその船はドーバー海峡での戦闘に巻き込まれ爆雷により沈没した[2]。その後乗った船も、寄港した神戸で原が手旗信号の教官を務めることになり下船したところ、広島で潜水艦の魚雷攻撃により沈没した[2]。徴兵の際は、宇都宮から満州へと派兵される予定であったが、原は出征の翌日に腹痛に見舞われ翌年に持ち越された[2]。原が参加予定であった部隊は、数ヶ月後に満州から南方に派兵され全滅したという[2]。
映画『ゴジラ対ヘドラ』でヘドロの中に浮かぶ赤ん坊は、原の孫である[2]。
映画
テレビドラマ
- 帰ってきたウルトラマン(1971年)※照明(特撮)
脚注
参考文献
- 東宝ゴジラ会 『特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』洋泉社、2010年10月9日。ISBN 978-4-86248-622-6。
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