混乱と崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 07:15 UTC 版)
国内ではピノチェトの強権政治が続き、依然として反政府派市民に対する弾圧、非公然の処刑(暗殺)や強制収容所への拉致、国外追放などが頻発した。同時にシカゴ学派の新自由主義経済に基づく経済運営が行われ、外見的には経済は発展したが、同時に貧富の格差の拡大と、対外累積債務の拡大を招いた。ピノチェト政権は政権中後期に混乱状態に陥ったチリ経済の実情を公表しなかった。 ピノチェトの独裁政権は1989年に民政移管し、コンセルタシオン・デモクラシアからキリスト教民主党出身のパトリシオ・エイルウィンが19年ぶりの選挙で大統領に当選・就任するまで続いた。そして、ピノチェトは大統領辞任後も終身の上院議員・陸軍総司令官として影響力を保持していたが、独裁政治による弾圧や虐殺行為、不正蓄財などの罪で告発され、総ての特権を剥奪された。なお2005年9月にチリ最高裁は、最終的にピノチェトの健康状態から裁判に耐えられないとして、左派の活動家に対する誘拐・殺人の罪状を棄却した。また、2005年10月にはピノチェトと家族の総ての資産が差し押さえられたが、結局彼自身が裁かれることはなく2006年に死去した。
※この「混乱と崩壊」の解説は、「チリ・クーデター」の解説の一部です。
「混乱と崩壊」を含む「チリ・クーデター」の記事については、「チリ・クーデター」の概要を参照ください。
- 混乱と崩壊のページへのリンク