新自由主義経済
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「ホンジュラスの経済」の記事における「新自由主義経済」の解説
ホセ・シモン・アスコナ・デル・オヨ(1927-2005)は、1985年11月29日の選挙により大統領となった。日本に先駆けるかのように「失われた10年」と呼ばれた不況期の就任であった。32億ドルの債務のうち、対外債務だけをとってもGDPの44%にのぼった。また、1980年代の政府はエル・カホン水力発電所を建設しようと、対外債務の半分をつぎこんでいた。1989年、5700万ドルのデフォルトにより、世界銀行からは新規借款受け取り国として不適切だと指をさされ、双子の赤字に苦しむアメリカも援助の中断を決めた。 ラファエル・レオナルド・カジェハス・ロメロが1990年に大統領となり、政権交代が実現した。カジェハスは米国の大学で農業経済を専攻、帰国後は経企庁長官や農業・資源大臣などを歴任していた。選挙参謀の富豪リカルド・マドゥーロを無任所大臣格の経済顧問にすえて、新自由主義をめざした経済改革を行った。IMFの構造調整は全面的に受け入れた。規制緩和、貿易の自由化、外国投資の自由化、民営化といったものを推進した。緊縮財政、公務員の削減をとっても、日本の新自由主義場化と重なるところが多い。 副作用は相当なものであった。通貨レンピラは、それまで1ドル2レンピラだったのが、1990年3月には4.3レンピラに暴落した。輸入品の高騰は消費者物価を直撃。1990年を基準にすると、翌年は1.3倍。1993年には1.6倍まで跳ね上がった。また、緊縮財政で補助金がカットされていったせいで、公共料金も水道からゴミ処理に至るまで軒並みに上がった。 この政権は末期になると、公権濫用と汚職疑惑で本格的に捜査、告訴された。カジェハス自身と周辺の高官、親族、軍高官に対し、大統領府機密費の流用、外人への旅券不発発給、大統領府が主導した石油安定基金の2億8000万レンピラとも言われる使途不明金、大統領が支持した公共事業通信交通省の機材の不正払い下げ、森林庁の使途不明金など、数え切れない容疑であった。1996年末には当局が麻薬取引容疑の捜査が国会議員に妨害されていると発表。裁判所は爆弾テロに遭った。カジェハスは不逮捕特権を利用して訴追を逃れた。彼の所属する国民党は国民の支持を失った。
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