混乱と課題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:19 UTC 版)
アダルトチルドレンという概念は、本来は自己を認識し語るための実践上のツール、自分自身への理解を深めるための自覚用語であったが、客観的に定義できる概念のように扱われたり、他者のレッテル張りにも使われたりするなど、その語られ方には混乱が見られた。茨城大学の加藤篤志は、アダルトチルドレンに肯定的な雑誌記事でも、アダルトチルドレンが主観的なものか客観的に定義しうるものか論理水準があいまいなものがあり、「ACは病名でもなければレッテルでもない」という主張を繰り返した斎藤学や信田さよ子といった専門家の言説の中にも、「アダルト・チルドレンと自己を規定する」ことと「アダルト・チルドレンであることを発見する」ことの混同がときどき見られると指摘している。斎藤は1998年に「『悩んでいる人が手に入れやすい書籍を』と言われ、大手から出版したのが間違いだったかも。万単位に売れたときの影響まで予想できなかった」と述べ、誤解が蔓延したアダルトチルドレンに換えて「トラウマ・サバイバー」の語を用いると宣言しているが、加藤は「どのような語を用いるにせよ、それが語られる議論の水準に敏感でない限り、同じ問題が繰り返されることになるだろう」と述べている。 アダルトチルドレン批判では、こうした混同がもたらす理論的あるいは実践的な困難が指摘されることが多かった。医療関係者やマスコミ、知識人が批判を展開し、「何でも親のせいにするな」「流行だから名乗るのか」というようなAC概念をよく知らずにされたものから、機能不全家族の尺度をはかる指標がないなどのエビデンスベイスドに関するものまで批判は多岐にわたった。 日本には、アメリカのような段階を得ずに導入されたため、生きづらさという問題を解決するための出発点であるものをゴールであると考え、「わたしはACなんだから、こういうことはできなくて当たり前」だという開き直りを招いたり、自分は被害者なのだと主張するために乱用したりするなど誤用が起こった。こうした一種の宿命論は、アダルトチルドレン・ブームから派生した毒親糾弾ブームでも繰り返されている。
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