イギリスとエジプトとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > イギリスとエジプトの意味・解説 

イギリスとエジプト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 09:45 UTC 版)

オスマン帝国領エジプト」の記事における「イギリスとエジプト」の解説

イギリスにとってエジプトの占領は、少なくとも当初は(イギリス視点においてはオラービー革命に始まるエジプト混乱という目の前状況対応するための暫定的な処置であった1885年マフディー死後エジプト自体マフディー軍占領される不安が解消された際、イギリスオスマン帝国軍エジプト防衛肩代わりさせ、現地から撤退しようとした1887年5月にイギリス・トルコ協定によって、イギリス軍3年以内エジプトから撤退すること、エジプト有事の際にイギリスオスマン帝国共同軍事行動を取ることなどが合意された。しかしイギリスエジプト対す優先権明示した協定に対してロシアフランス難色示し、この圧力のためにオスマン帝国はこの協定批准しなかった。その結果としてイギリス軍エジプトから撤退するタイミング失い長期化と共にイギリス軍エジプト駐留既成事実化することになったイギリス軍駐留開始後、クローマー卿が就任する以前に「閣僚評議会」「地方評議会」「立法評議会」「国会」などの設置定めエジプト行政機構一新図った実質的な支配権は「アドバイザー」として各省庁組織配置されイギリス人顧問担い閣僚評議会参加する権利持っていたイギリス人財政顧問には決定事項対す拒否権与えられた。イギリス当局決定事項に逆らうことはエジプトのヘティーヴ(副王であっても不可であったイギリスにとってエジプトインド本国を結ぶ戦略上の要衝であり、それだけ現地情勢安定させる必要があった。イギリスの統治明白に植民地支配の一形態であったが、イギリス領インド帝国行政官として長く勤め実務家として定評があったクローマー卿は、少なくとも財政経済においてエジプト目覚ましい復興もたらすことになる。税制整備と共に灌漑設備整備による経済再建試みられた。イギリス人統治しているという事実によって、各債券国との積極的な交渉が可能となり、新規灌漑事業のための新たな融資取り付け成功した。そしてイギリスにはクローマー卿以外にも、ウィリアム・ウィルコックス(William Willcox)やウィリアム・エドムンド・ガースティン(英語版のような、この融資活かして効果的な灌漑プロジェクト実行することが可能な経験豊富テクノクラートがいた。彼らはインドでの経験活かして各種開発携わりナイルデルタ上エジプト灌漑網を整備する一方貯水10億トン規模を持つアスワン・ダム建設行った1902年完成)。これらによって農地面積農業生産急増し、また農産物輸送のための鉄道網農道整備行われた一連の開発改革結果1896年までにエジプト政府財政再建完了し歳入余裕出たことから大規模な減税が可能となった。この減税ではタバコ税除いて直接税間接税のほとんどが対象となった。またクローマー卿の個性反映して汚職強制労働鞭打ち禁止など行政官綱紀粛正進み農業用水配分平等化高利貸しからの借金返済不能によって農民農地を失うことを防止するための農業銀行設立など、民生改善進んだこうしたイギリス人テクノクラートによる事業は、エジプト人の間でも極めて評判良く反英的な新聞ですらその功績称えた。 ただし、それでもなおイギリスエジプト統治はあくまで本国利益資することを前提とするものであったクローマー卿の綿花産業重視エジプトイギリス本国への原料供給基地として確立するものであったエジプトが「ランカシャー綿花農場」として綿花生産拡大する一方本国競合する可能性のある工業化に対して厳し圧迫加えられ現地在住ヨーロッパ人による紡績会社の設立さえ、極めて不利な税制によってその存立認められなかった。この結果としてエジプト経済モノカルチャー化が進展し20世紀初頭にはエジプト輸出における綿花割合80パーセント超える至った。これはエジプト経済構造的問題としてその後残されることになる。

※この「イギリスとエジプト」の解説は、「オスマン帝国領エジプト」の解説の一部です。
「イギリスとエジプト」を含む「オスマン帝国領エジプト」の記事については、「オスマン帝国領エジプト」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「イギリスとエジプト」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「イギリスとエジプト」の関連用語

イギリスとエジプトのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



イギリスとエジプトのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのオスマン帝国領エジプト (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS