イギリスとシンガポール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:38 UTC 版)
1890年(光緒 16年)、イギリス・フランス・ベルギー・イタリア兼任公使として赴任する薛福成(せっぷくせい)の参賛としてヨーロッパに向かった。ヨーロッパでの生活にはあまりなじめず、望郷の念を募らせていたようだ。「重霧」という詩では、ロンドンのどんよりとした霧にうんざりする黄遵憲の様子がうかがえる。翌年薛福成の推薦で新設されたばかりの シンガポール総領事として赴任。東南アジアにも多くの華僑が在住していたが、列強の植民地化が進行する中で保護されずに放置されていた。清朝では国を捨てた者として見なしていたためである。清朝の方針を転回させ、華僑保護をすべく領事を東南アジア各地に設けようとしたのが薛福成であった。薛福成自身は1890年にはじめて海外の土を踏んだのであり、こうした華僑保護を求める政策提言の背後にはアメリカでの経験に基づいた黄遵憲の進言があったのである。
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