イギリスとオスマン帝国の共同作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 09:42 UTC 版)
「オスマン帝国の対プロテスタント政策」の記事における「イギリスとオスマン帝国の共同作業」の解説
エリザベス1世の時代にオスマン帝国との外交関係が結ばれ、レヴァント会社に勅許が与えられた。また、1578年に、オスマン宮廷への最初の大使としてウィリアム・ハーボーン(William Harborne)が派遣された。エリザベス1世とスルタン・ムラト3世の間では、お互いに多くの通信使と書翰が取り交わされた。ある返信で、ムラト3世は、それぞれがローマ・カトリックと共通する以上のものを、偶像崇拝を拒否するということで、イスラムとプロテスタントは同じものを持っているという考えを記し、イギリスとオスマン帝国の同盟を議論している。ヨーロッパのカトリック勢力に動揺を与えるため、イギリスはオスマン帝国に、(大砲鋳造のための)錫と鉛、軍需品を輸出した。また、エリザベス1世は、1585年にスペインとの戦争が始まったとき、ムラト3世との共同軍事行動を真剣に議論した。スペインという共通の敵に当たる為に、オスマン帝国の直接軍事行動を引き出させるよう、フランシス・ウォルシンガムに交渉させたのである 当時のイギリスの作家はしばしば、「トルコ人」と「オスマン帝国」を、盛んに賞賛した。彼らは、「威厳があり、荘厳な形式と機能」を持ち、「ヨーロッパで最強の国」であるとし、トルコ人は「唯一近代的な人々で、行為に趣があり、今日最も偉大な栄光を持ち、彼ら以上の人々を見いだすことができない」とし、さらに、「信じられないほど礼節に富む」と記したのである
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