エジプトの占領とは? わかりやすく解説

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エジプトの占領

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:42 UTC 版)

ムハンマド・ブン・トゥグジュ」の記事における「エジプトの占領」の解説

933年3月タキーン・アル=ハザリー死去し、その息子のムハンマド・ブン・タキーンが後任エジプト総督任命された。しかしながら、ムハンマド・ブン・タキーンはエジプト権力確立することに失敗した。そしてイブン・トゥグジュが同年8月新しく総督任命されたものの、エジプト赴任する1か月前に任命取り消され代わりにアフマド・ブン・カイガラグ(英語版)が任命された。イブン・トゥグジュの任命取り消され時期は、9月22日カリフのカーヒル(在位932年 - 934年)によるムウニスの逮捕(およびその後処刑)と一致しており、イブン・トゥグジュの任命もほぼ間違いなくムウニスによるものであったことを示唆している。ムウニスの失脚後、カーヒルがダマスクスのイブン・トゥグジュに代わってブシュリーという名の宦官送り込んだという事実はこの見方裏付けている。ブシュリーはダマスクス同時に任命されていたアレッポ総督地位確保することはできたが、ダマスクスのイブン・トゥグジュはブシュリーが後任となることに抵抗し、ブシュリーを破って捕虜とした。その後、カーヒルはアフマド・ブン・カイガラグにイブン・トゥグジュを強制的に排除するように命じたしかしながら、アフマド・ブン・カイガラグはイブン・トゥグジュに向けて進軍したにもかかわらず両者は戦うことを避けて面会した。そして相互に支援することと現状維持することで合意したその後エジプトはますます混乱様相深めていき、アフマド・ブン・カイガラグにはエジプト秩序取り戻すだけの能力がないことが明らかとなった935年までに軍隊俸給の不足をめぐって暴動起こしさらにはベドウィン襲撃再開された。同時にムハンマド・ブン・タキーンと財務長官のアブー・バクル・ムハンマド・ブン・アリー・アル=マーザラーイー(英語版)(アフマド・ブン・トゥールーン時代からエジプト財政支配し莫大な富を蓄えてきた世襲官僚継承者)がアフマド・ブン・カイガラグの立場弱体化させ、その地位をも望むようになった。そしてムハンマド・ブン・タキーンを支持するトルコ人兵士中心とする東部出身者(マシャーリカ)と、アフマド・ブン・カイガラグを支持するベルベル人黒人中心とする西部出身者(マガーリバ)の間で軍事衝突発展したこの頃にイブン・トゥグジュは以前アッバース朝ワズィール西部方面監査官であるアル=ファドル・ブン・ジャアファル・ブン・アル=フラート英語版)(息子のジャアファル・ブン・アル=ファドル・ブン・アル=フラート英語版)はイブン・トゥグジュの娘の一人結婚しイフシード朝ワズィールとなった)の支援得たことで再びエジプト総督任命された。イブン・トゥグジュは万全を期して陸と海からエジプト侵攻する軍隊組織した。アフマド・ブン・カイガラグは進軍遅らせることには成功したものの、最終的にイブン・トゥグジュの艦隊がティンニース(英語版)とナイルデルタ占領し首都フスタート向けて進軍した策略後手回り戦闘敗北したアフマド・ブン・カイガラグはファーティマ朝逃亡した勝利したイブン・トゥグジュは935年8月26日フスタート入った。 イブン・トゥグジュはエジプトの首都支配下収めたものの、一方ではその占領きっかけとなり、すぐにファーティマ朝対決する必要に迫られた。イブン・トゥグジュへの服従拒否したマガーリバはハバシー・ブン・アフマドの統率の下でアレクサンドリア向かいさらには西方バルカ逃れた。そしてエジプト侵攻するためにファーティマ朝カリフカーイム英語版)(在位934年 - 946年)を招き入れ、その支援仰いだファーティマ朝当初侵略成功収めたベルベル人クターマ族軍隊ナイル川ローダ島占領し武器庫焼き討ちした。さらにはイブン・トゥグジュの海軍提督のアリー・ブン・バドルとバジュカムがファーティマ朝投降しアレクサンドリア936年3月ファーティマ朝軍隊によって占領された。それにもかかわらず3月31日にイブン・トゥグジュの兄弟アルハサンアレクサンドリア近郊ファーティマ朝軍を打ち破り都市からファーティマ朝軍隊追い出すとともにエジプトからバルカ拠点撤退させた。イブン・トゥグジュはこれらの軍事行動継続している間、特に軍隊による略奪禁じていた。バカラクによれば、これは「エジプト定着することに向けた長期的な視点」に立っていたことを示している。

※この「エジプトの占領」の解説は、「ムハンマド・ブン・トゥグジュ」の解説の一部です。
「エジプトの占領」を含む「ムハンマド・ブン・トゥグジュ」の記事については、「ムハンマド・ブン・トゥグジュ」の概要を参照ください。

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