エジプトの占領
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「ムハンマド・ブン・トゥグジュ」の記事における「エジプトの占領」の解説
933年3月にタキーン・アル=ハザリーが死去し、その息子のムハンマド・ブン・タキーンが後任のエジプト総督に任命された。しかしながら、ムハンマド・ブン・タキーンはエジプトで権力を確立することに失敗した。そしてイブン・トゥグジュが同年8月に新しく総督に任命されたものの、エジプトへ赴任する1か月前に任命が取り消され、代わりにアフマド・ブン・カイガラグ(英語版)が任命された。イブン・トゥグジュの任命が取り消された時期は、9月22日のカリフのカーヒル(在位:932年 - 934年)によるムウニスの逮捕(およびその後の処刑)と一致しており、イブン・トゥグジュの任命もほぼ間違いなくムウニスによるものであったことを示唆している。ムウニスの失脚後、カーヒルがダマスクスのイブン・トゥグジュに代わってブシュリーという名の宦官を送り込んだという事実はこの見方を裏付けている。ブシュリーはダマスクスと同時に任命されていたアレッポの総督の地位を確保することはできたが、ダマスクスのイブン・トゥグジュはブシュリーが後任となることに抵抗し、ブシュリーを破って捕虜とした。その後、カーヒルはアフマド・ブン・カイガラグにイブン・トゥグジュを強制的に排除するように命じた。しかしながら、アフマド・ブン・カイガラグはイブン・トゥグジュに向けて進軍したにもかかわらず、両者は戦うことを避けて面会した。そして相互に支援することと現状を維持することで合意した。 その後、エジプトはますます混乱の様相を深めていき、アフマド・ブン・カイガラグにはエジプトに秩序を取り戻すだけの能力がないことが明らかとなった。935年までに軍隊は俸給の不足をめぐって暴動を起こし、さらにはベドウィンの襲撃が再開された。同時にムハンマド・ブン・タキーンと財務長官のアブー・バクル・ムハンマド・ブン・アリー・アル=マーザラーイー(英語版)(アフマド・ブン・トゥールーンの時代からエジプトの財政を支配し、莫大な富を蓄えてきた世襲官僚の継承者)がアフマド・ブン・カイガラグの立場を弱体化させ、その地位をも望むようになった。そしてムハンマド・ブン・タキーンを支持するトルコ人兵士を中心とする東部出身者(マシャーリカ)と、アフマド・ブン・カイガラグを支持するベルベル人と黒人を中心とする西部出身者(マガーリバ)の間で軍事衝突に発展した。 この頃にイブン・トゥグジュは以前のアッバース朝のワズィールで西部方面の監査官であるアル=ファドル・ブン・ジャアファル・ブン・アル=フラート(英語版)(息子のジャアファル・ブン・アル=ファドル・ブン・アル=フラート(英語版)はイブン・トゥグジュの娘の一人と結婚し、イフシード朝のワズィールとなった)の支援を得たことで再びエジプトの総督に任命された。イブン・トゥグジュは万全を期して陸と海からエジプトへ侵攻する軍隊を組織した。アフマド・ブン・カイガラグは進軍を遅らせることには成功したものの、最終的にイブン・トゥグジュの艦隊がティンニース(英語版)とナイルデルタを占領し、首都のフスタートに向けて進軍した。策略で後手に回り、戦闘で敗北したアフマド・ブン・カイガラグはファーティマ朝へ逃亡した。勝利したイブン・トゥグジュは935年8月26日にフスタートに入った。 イブン・トゥグジュはエジプトの首都を支配下に収めたものの、一方ではその占領がきっかけとなり、すぐにファーティマ朝と対決する必要に迫られた。イブン・トゥグジュへの服従を拒否したマガーリバはハバシー・ブン・アフマドの統率の下でアレクサンドリアに向かい、さらには西方のバルカへ逃れた。そしてエジプトへ侵攻するためにファーティマ朝のカリフのカーイム(英語版)(在位:934年 - 946年)を招き入れ、その支援を仰いだ。ファーティマ朝の当初の侵略は成功を収めた。ベルベル人のクターマ族の軍隊がナイル川のローダ島を占領し、武器庫を焼き討ちした。さらにはイブン・トゥグジュの海軍の提督のアリー・ブン・バドルとバジュカムがファーティマ朝へ投降し、アレクサンドリアは936年3月にファーティマ朝の軍隊によって占領された。それにもかかわらず、3月31日にイブン・トゥグジュの兄弟のアル=ハサンがアレクサンドリアの近郊でファーティマ朝軍を打ち破り、都市からファーティマ朝の軍隊を追い出すとともにエジプトからバルカの拠点へ撤退させた。イブン・トゥグジュはこれらの軍事行動が継続している間、特に軍隊による略奪を禁じていた。バカラクによれば、これは「エジプトで定着することに向けた長期的な視点」に立っていたことを示している。
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