エジプトの古さの問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:08 UTC 版)
カルデアの歴史を上手く消化したエウセビオスだったが、同様に立ちはだかったマネトの『エジプト史』には、対応に苦慮した。マネトは、エジプトの歴代31王朝について統治年数・王の名・首都を詳細に記していた。最後の王朝がアレクサンドロス大王に征服されアレクサンドリアが建設された紀元前331年から統治年数の合計を遡ると、第1王朝の創始は紀元前5268年8ヶ月となり、エウセビオスの創世紀元よりも古くなってしまう。それどころか、人間統治の時代以前には半神や死者の霊が統治する11,000年間、その前には神々が支配した13,900年間があったとしており、普遍史の概念とは大きく食い違っていた。 これに対しエウセビオスは、神々の時代は一月を一年と、半神や死霊の時代は三ヶ月を一年と呼称していたと主張し、計算を経てこの期間を2206年間だったという数値を得た。これを根拠に、エジプトの先王朝統治の記録は大洪水前の時代が曲解されて伝わったものと述べ、エジプト人の始祖は聖書が示す通りミツライムだと定義した。 31王朝の期間については、エウセビオスは、これらには別々の地域に同時期に並存した王朝が含まれているため、見かけ年数が多くなっていると主張し、聖書記述との矛盾は無いと説明した。ただし、『年代記』「カノン」には16王朝以降を順列で記しているのみに留まり、具体的にどの王朝が並存していたのかには触れていない。このエジプト問題は、普遍史にまつわる疑問として後世まで残った。
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