エジプトのハルファヤ峠占領と防衛
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「エルヴィン・ロンメル」の記事における「エジプトのハルファヤ峠占領と防衛」の解説
トブルク陥落は困難と判断したロンメルはトブルクを包囲させたまま、マクシミリアン・フォン・ヘルフ大佐を指揮官とするドイツ軍第5軽師団の先遣部隊「ヘルフ戦闘団」を東進させた。1941年4月末にヘルフ戦闘団はエジプト国境の戦略的要衝(戦車が通過できる場所だった)であるハルファヤ峠(en)とサルーム(en)の英軍を撃退して占領し、英軍の防衛ラインをブク=ブクとソファフィ(pl)の線まで後退させた。これにより英軍がトブルク救援に向かおうと思えばまずハルファヤ峠とサルームを攻略せねばならなくなった。 この後ヘルフ戦闘団は英軍からハルファヤ峠を防衛するのに活躍した。5月15日に英軍中東軍司令官ウェーヴェルは「ブレヴィティ作戦(簡潔作戦)」を発動して攻勢をかけ、ハルファヤ峠を取り戻したが、ヘルフ戦闘団は英軍のそれ以上の進撃は阻止した。そして5月27日にヘルフ戦闘団が反撃に転じ、ハルファヤ峠の英軍を掃討して再占領している。
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