エジプトによる支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/06 06:31 UTC 版)
ダルフール人はエジプトの支配に抵抗した。幾度かの反抗が弾圧された。1879年イギリス人のスーダン総督ゴードン将軍は旧王家の復位を仄めかしたが、実現されず、1881年にルドルフ・カール・フォン・スラティンが州総督とされた。スラティンはマディッボというリザイカートの首長によって導かれた自称マフディー、ムハンマド・アフマドの軍に対して州を防衛したが、1883年12月に降伏し、ダルフールはマフディーの統治に組込まれた。ダルフール人はその支配にエジプト人のものと同様にうんざりし、恒常的な戦争状態の後ダルフールからマフディの軍はゆるやかに撤退した。1898年英領エジプトの軍はオムドゥルマンでマフディの後継者を打倒し、新スーダン政府は1899年モハメッド=エル=ファダルの孫アリ・ディナールを見付け、ダルフールのスルタンとして最高年500英国ポンドの俸給を支払った。アリ・ディナールはマフディー政権時代はオムドゥルマンでずっと囚われていた。アリ・ディナールの下で、ダルフールは平和な時期と事実上の独立回復を享受した。
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