エジプトにおけるアースティルティト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 02:07 UTC 版)
「アスタルト」の記事における「エジプトにおけるアースティルティト」の解説
一方エジプト神話に取り入れられた際には軍神としての性格を残している。古代エジプト語ではアースティルティト(‘ṯtirtit)と呼ばれ、戦車に乗り、盾と槍などで武装し、二枚の羽で飾った上エジプト冠(白くてとがった形の冠)を被った女戦士の姿で表される。 系譜としてはプタハの娘とされ、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}特にプタハの聖地メンフィスで崇められた。[要出典]また、アナトと共に(バアルと習合した)セトの妻とされる。また軍馬の守護神とされる。これはエジプトにもともと馬に乗ったり馬の牽く戦車を使う習慣がなかった為で、彼女が外国由来の神であることを示す。 その信仰はエジプト第18王朝頃から始まったと考えられている。[要出典]この頃に記された神話『アスタルテ・パピルス(ドイツ語版)』によると、彼女はエジプトの神々に再三貢ぎ物を要求するヤム・ナハルと交渉したという。アースティルティトはこれによってヤムの好意を得るものの、今度はヤムは彼女自身を引き渡すようにプタハに要求する。結局神々は彼女の代わりに更に多くの貢ぎ物を捧げることになったという。つまりこの神話ではバアルではなくヤムが天と地の支配者となっている。
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