エジプトとヒッタイトの戦争とは? わかりやすく解説

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エジプトとヒッタイトの戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:57 UTC 版)

エジプト第19王朝」の記事における「エジプトとヒッタイトの戦争」の解説

セティ1世息子で、その治世晩年共同統治者として政治の舞台登場するのがラムセス2世(前1279年 - 前1212年)である。ラムセス2世には兄がいたが早く死亡しており、幼い頃より後継者として育てられた。セティ1世死後王位継承したラムセス2世は、エジプト史上最大建築活動行った王であり、父が中途やり残しいくつかの神殿建設引き継ぎ、また全国土に渡って大規模建築残している。 ラムセス2世治世初期は、父王時代同じく対外遠征熱心に行われていた。これまで同様にシリア・パレスチナ方面は最も注意向けられ地方であったシリア勢力拡張するヒッタイト対するために、かつてヒクソス(第15王朝)が拠点置いた下エジプト東部都市アヴァリス元にペル・ラムセスラムセス市)を建設しアジア方面への遠征のための軍事拠点とした。そして数次にわたるアジア遠征行いシリア地方対す支配権回復目指した。 取り分け有名なのが第2回アジア遠征である。当時エジプトヒッタイト勢力争い最前線となっていたのが北シリアアムル王国であったセティ1世時代一時的な征服の後、結局アムル王国は再びヒッタイト支配下入ってしまっていた。しかしアムル王ベンテシナはヒッタイト支配快く思っておらず、ラムセス2世海沿いシリア地方2万あまりの軍を率いて進軍すると、公然とヒッタイト反抗しはじめたラムセス2世としてはベンテシナの反ヒッタイト活動支援することで北シリア支配権回復することができると踏んでいた。 当時ヒッタイト王ムワタリ2世は、反逆者ベンテシナを打倒しエジプトの北シリア対す要求跳ね除けるため、ヒッタイト宗主権にあったシリア諸王国、ハラブアレッポ)、ウガリトカデシュなどの兵力動員してエジプト軍迎撃すべくカデシュ展開したラムセス2世ヒッタイトが行った情報操作の罠に陥り、進軍した先で敵軍包囲されたものの彼自身勇敢さエジプト軍奮戦のために敗北免れた。(カデシュの戦い) この戦いエジプト側の記録大勝利と記すが、実際に戦場においては痛み分けという程度戦果であり、領土的には北シリアヒッタイト抑えられたままで、その奪回はならなかった。戦後間もなくエジプトについたアムル王ベンテシナが廃されている。 この後ラムセス2世アジア遠征繰り返したが、大勢変わらずシリア対す支配権回復は終に達成されることがなかった。最終的にラムセス2世治世21年エジプトヒッタイトの間には平和同条約結ばれてエジプトヒッタイト長きに渡る戦争終止符打たれた。これは条文が残る平和条約としては世界最古条約である。この条約によってエジプトラムセス2世と、ヒッタイト王ハットゥシリ3世領土不可侵相互軍事援助政治亡命者の引渡し約しハットゥシリ3世の娘がラムセス2世後宮輿入れした。 この和平背景にあったのが、ヒッタイト東方勢力を増すアッシリア存在であったアッシリアは前15世紀にはミタンニ覇権の下にあったが、前14世紀アッシュール・ウバリト1世時代にはエジプト第18王朝対し対等立場主張するような外交書簡を送るほど勢力拡張し、この時代の王アダド・ニラリ1世シャルマネセル1世は旧ミタンニ領を併呑し、ヒッタイト敵対するようになっていたのであった

※この「エジプトとヒッタイトの戦争」の解説は、「エジプト第19王朝」の解説の一部です。
「エジプトとヒッタイトの戦争」を含む「エジプト第19王朝」の記事については、「エジプト第19王朝」の概要を参照ください。

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