エジプト第19王朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/12 14:45 UTC 版)
エジプト第19王朝(エジプトだい19おうちょう、紀元前1293年頃 - 紀元前1185年頃)は、新王国時代の古代エジプト王朝。第18王朝時代の繁栄を引き継ぎ、古代エジプト最大のファラオとも言われるラムセス2世を出し、エジプトがオリエント最大の国家の一つとして栄えた時代であった。
注釈
- ^ 紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメン(アメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではノと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。
- ^ 当時のオリエント諸国の支配は重層的であった。一般に歴史地図などでエジプト領やヒッタイト領とされているシリア地域には、これに従属する多数の「王」ないし「首長」が存在し、実際に現地の統治に当たっているのは彼らであった。こうした小王国はことあるごとに「宗主国」に対し反旗を翻したり寝返りをしたりした。さらに小王国間でも相互に反目が存在しており、アムル王ベンテシナの動向には、彼と同じようにヒッタイトに従属していたウガリト王アンミスタムル2世との対立関係も影響していた。
- ^ アナトリア半島南東部からメソポタミア中流域に勢力を持った王国。フルリ人を中心とした国家であり、王家を含む上層部にはインド・ヨーロッパ語を解する人々がいたとされる場合が多いが不詳。かつてはオリエントの大国として覇を競った国家であったが、西隣のヒッタイトと東側で勢力を増すアッシリアに圧迫されて衰退し、残存勢力はヒッタイトの従属国となっていた。
- ^ ラムセス2世の即位名(上下エジプト王名)「ラーの正義は強い」の意。
- ^ プタハ神の神像には太陽光線は当たらない。これはプタハ神が地下世界に関わる神であるためである。
- ^ ヘブライ人と関係のあるという説の存在する「アピル」、「ハビル」、「イブリ」などの語を含む文書は更に見つかっているが、これらを単純にヘブライ人と直接関連するものとする事はできない。
- ^ カルナック神殿のen:Great Karnak Inscriptionとイスラエル石碑からメルエンプタハの戦闘記録を知ることが出来る。
- ^ ファラオであるアメンメスとは別人。
出典
- ^ 参考文献、『ファラオ歴代誌』で紹介されている説による。
- 1 エジプト第19王朝とは
- 2 エジプト第19王朝の概要
- 3 歴史
- 4 歴代王
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