「イスラエル」と「海の民」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:57 UTC 版)
「エジプト第19王朝」の記事における「「イスラエル」と「海の民」」の解説
新王国時代の最盛期ともいえるラムセス2世の治世は、実に67年間に及んだ。死去したときには92歳になっていたといわれている。このため彼の王子の中には先に死んでいる者も多かった。前述のカエムウワセトも将来を嘱望された人材であったが父に先立ち死亡している。結局13番目の王子であったメルエンプタハ(前1212年 - 前1202年)が王位を継承したが、彼も即位したときには既に老齢であった。 メルエンプタハの治世当初は概ね平穏であり、ヒッタイトとの同盟関係を軸に国際環境も安定していた。しかし、彼が治世第5年目に行った二度の戦争は極めて重要な歴史的意義を持つものである。治世第5年にシリア地方で反乱が起きたため、メルエンプタハはこの地へ遠征した。反乱自体は程なく鎮圧されたため目立つ戦争ではないが、この時の戦勝記念碑(イスラエル石碑(英語版))にイスラエルの名が登場することから、旧約聖書出エジプト記との関連で非常に重要視されている。これは古代エジプトのあらゆる記録の中で、イスラエルに言及する唯一の記録であると同時に、イスラエル、或いはヘブライ人に言及する初めての確実な聖書外史料でもある。 イスラエルは荒廃し、その種はもはや無い。パレスチナはエジプトのための寡婦となった。 もう一つの戦争は、リビュア人と「海の民」が首長メリウイに率いられて下エジプト西部に侵入してきたために行われた。これが最初の「海の民」に関連する歴史記録である。「海の民」は多数の民族からなる混成集団で、以後1世紀あまりの間に東地中海世界を席巻し多くの王国を崩壊させることになる。ただし、この時の戦いではメルエンプタハはリビュア人と「海の民」の連合軍を撃退することができた(ペルイレルの戦い、Battle of Perire)。 詳細は「海の民」を参照
※この「「イスラエル」と「海の民」」の解説は、「エジプト第19王朝」の解説の一部です。
「「イスラエル」と「海の民」」を含む「エジプト第19王朝」の記事については、「エジプト第19王朝」の概要を参照ください。
- 「イスラエル」と「海の民」のページへのリンク