「イスラーム(原理)主義の」、「イスラム教の」、「ジハード主義の」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:18 UTC 版)
「イスラーム過激派」の記事における「「イスラーム(原理)主義の」、「イスラム教の」、「ジハード主義の」」の解説
《占領における武力に反対する抵抗》において幾つものイスラム(原理)主義の(フランス語:islamiste)組織が彼らの活動を形容する。それと同じように、ハマス(Hamas)は《イスラム教の(フランス語:islamique)抵抗の活動》を意味する《harakat al-muqawama al-islamiya》の頭字語である。ヒズボラの旗は《レバノンのためのイスラム教の抵抗》を意味する《al-muqawamah al-islamiyah fi lubnan》のスローガンを入り口に掲げる。イラクにおいては、(宗教上での政治的な影響の)幾つもの組織がアメリカの軍事力に抵抗するゲリラを導く。 ファティ・ヤマ(フランス語:Fatih Yamac)によれば、《イスラムのまたはイスラム教徒の-ユダヤ人の-キリスト教徒の、宗教的なテロリズムにおいて名付けるのを研究者らはためらわなかった》。《イスラム教徒の(フランス語:musulman)テロリズム》という用語はもっと稀である。 《イスラム(原理)主義のテロリズム》のところよりもむしろ《イスラム教のテロリズム》の表現をしばしば何人かの著者は使うにもかかわらず、かなり少数派のこの用法は研究者と知識人の数について投げ出され激しく批評される。それは彼の意味の不正確さを力説し、そしてそのような使用における運の向かないその効果を告発するものである。 同様に、セミア・バネール(フランス語版)(フランス語:Semih Vaner)は次のように考える。《《イスラム教の》テロリズムというものは存在しない。(用語での高貴な意味とは必ずしも限らない、残念ながら、しかし既に始まったばかりの難しさ、抵抗における威厳と正当性をどう決定するか)抵抗のための、しかしながらとりわけ政治的そして経済的な権力にたいする闘争における、(複数のテロリズムでの)或るテロリズムの存在。宗教はひとつの外見である。それらの隠し場のところのこれを見出すのにおいてそのものに作用する。…テロリストの或る現象のその現実を見積もっての意義をそれは否定しない、しかし暴力的なそれの行為を弁明し終えることによって自らが《イスラム(原理)主義の》であることを望む政治的なひとつのイデオロギーを都合よく使うところの《イスラム教の》その次元へそれは還元されない。》 「イスラーム過激派」は、日本などでは「イスラム原理主義過激派」という呼称がなされることもある。 「イスラム原理主義」とは、イスラーム共同体を預言者ムハンマドが共同体を創設した時代の原初の理想的な姿に回帰させることを志向する様々な運動や主義主張を、その人権侵害性などを理由に批判的に捕らえた用語である。 多くの国々、とりわけ非イスラーム圏では「イスラーム過激派」は「イスラム原理主義の過激派」であるという理解が一般的に広く浸透している。一方、親イスラーム的な研究者や保守的ムスリムの間には「イスラム原理主義」と「過激派」が結び付けられることにより、『イスラーム原理主義』(彼らの呼称によれば、イスラーム主義・イスラーム復興)と過激思想が本質的に結びついたものとみなされることに対する批判的な見方があり、「イスラーム過激派」と「イスラム原理主義」を厳しく弁別する考え方がある。 また、イスラーム主義の中でも詳細な区分が行われるようになり、初期イスラムの時代(サラフ)を模範とし回帰すべきであるという思想を唱えるサラフィー主義(サラフ主義)と呼ばれる系統もある(その中にはアルカーイダ系組織などが掲げるサラフィー・ジハード主義も含まれる)。ジャレット・ブラッチマン(英語版)によると、《ジハーディズム(フランス語:jihadisme)》は下手なまたは異論の多い用語である。それはイスラムの過激派の思想の流れからのを指し示すものである。そしてそれは、シャリアにおいて根拠を与えるまったくイスラムの統治を確立するためのこの、イスラム教徒の伝統的なテリトリーにおける非イスラム教のすべての影響から追い出す仕方の暴力の行使の要求をさし示す。大多数のイスラム教徒にとっての、ものである《ジハード》の語を含む用語は、信仰心の深い人生における基礎である、しかし幾らともイスラムを守るための戦闘の行為から成り立つものである。 こうした言説の背景には、過激派の活動はイスラーム上根拠がないという主張がある。例えば、コーラン(クルアーン)では正当な位置づけのない殺戮は、大義のない犯罪であるとして禁止されているとする。社会学者のドミニク・バレ(フランス語:Dominique Baillet)はイスラム(原理)主義のテロリズムはひとつの《クルアーンにおけるそしてそれゆえイスラムそのもののこれである新原理主義の解釈》であると考える:彼によれば、シャリアは平和な期間での虐殺の根拠を示さないまた、エジプトやトルコなど、無差別のテロが穏健なムスリムの間にも犠牲者を出した例も少なからずあり、多くの敬虔なムスリムは過激派をテロリストとみなして異端視している。 一方、イスラーム社会の中では、反米・反イスラエル的感情の高まりを背景として、9.11等のアメリカやイスラエルを標的とするテロに対する同情があることもしばしば報道されている。
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