王朝の黄昏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:57 UTC 版)
メルエンプタハが死ぬと第19王朝の王位をめぐって混乱が起きた。メルエンプタハは後継者として王子セティ・メルエンプタハを指名しており、治世終盤には共同統治を行っていた。ところが、メルエンプタハが死去した後に王位を継承したのはアメンメセス(アメンメスとも。前1202年 - 前1199年)という人物であった。アメンメセスはセティ・メルエンプタハの異母弟であると言われているが、どのような経緯で即位したのか詳らかではない。一説にはメルエンプタハ王が死去した時、セティ・メルエンプタハが運悪く首都を留守にしており、その機会を捉えてアメンメセスが王位を簒奪したとも言われる。 アメンメセスについては記録がほとんどなく、職人長からの苦情に答えて宰相アメンメスを罷免したというパピルスの記録と、王家の谷に王墓を造ったということ以外ほとんど何も知られていない。間もなく彼は地位を失い、セティ2世(前1199年 - 前1193年)が王位を獲た。彼こそはアメンメセスによって地位を奪われたセティ・メルエンプタハであるとも言われているが、確実なことはわからない。しかし彼がアメンメセスと敵対関係にあったことは、即位した後に記念物に刻まれたアメンメスの名に自分の名を上書きしていることからわかる。 セティ2世の統治も比較的短期間で終わった。彼の後継者とされた人物もセティ・メルエンプタハという名の王子であったが、彼は父王より先に死去してしまったため、弟のシプタハ(英語版)(前1193年 - 前1187年)が即位した。しかし、彼は幼い王であって傀儡に過ぎず、実権を握ったのはセティ2世の正妃タウセルト(英語版)と宰相バイ(英語版)であった。そしてシプタハが治世6年で死去すると、タウセルト(前1187年 - 前1185年)が女王として即位した。これらアメンメセスからタウセルトにいたる4人の短命王については、王家の谷に墓を造営したこと以外ほとんど情報が得られず、内政が混乱していたことが窺われる。
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