王朝の成立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 14:08 UTC 版)
「プランタジネット朝」の記事における「王朝の成立まで」の解説
ノルマン朝最後のイングランド王となったヘンリー1世は、1120年に嫡男ウィリアムをホワイトシップの遭難で失った。他に正嫡の男子を持たなかったヘンリー1世は、ウィリアムの姉マティルダを後継者に指名し、アンジュー伯ジョフロワ4世と結婚させた。しかしヘンリー1世の死後、その姉アデルを母とするエティエンヌ・ド・ブロワがロンドンを押さえ、イングランド王スティーヴンとして戴冠した。その後、スティーヴンとマティルダおよびそれぞれの支持勢力の間で20年近くにわたり内戦状態が続いた(無政府時代と呼ばれる)。スティーヴンが継承者としていた息子ウスタシュが1153年に急死すると、マティルダの息子アンジュー伯アンリとの間で和平協定(ウォーリングフォード協定)を結び、自身の王位の承認と引き換えにアンリを王位継承者とすること、またウスタシュの弟ギヨームは王位請求権を放棄することとした。1154年にスティーヴンが死去すると、協定通りアンリがヘンリー2世としてイングランド王に即位し、プランタジネット朝が成立した。
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