王朝前期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:45 UTC 版)
李朝は初代皇帝太祖の時代から第4代皇帝仁宗の時代にかけて全盛期を迎えた。それまでの越人独立諸王朝は中国(北宋)を中心とする冊封体制の中で常に郡王の扱いであったのに対し、李朝は越人王朝として初めて国王として冊封され、民族意識が高まった。 北宋と李朝との間では、しばしば国境問題が発生していた。宋は神宗の即位後、宰相の王安石の主導で積極策に転じてベトナム経略を図った。これに対して李朝は、1075年に機先を制して李常傑を総大将として水陸から宋に侵攻し、欽州・廉州・邕州などを攻略して引揚げた。宋側は反撃してベトナム奥地まで攻め入ったものの、戦果を挙げることができずに帰還した(ベトナム側の史料では如月江の戦いで宋軍を大破したことになっているが、宋側の史料ではこのような記述はなく、昇龍(ハノイ)近郊まで迫るも紅河を渡河できずに引揚げたとする)。大越は有利な条件で和睦することに成功、北宋との国境を確定するとともに、国家としての威勢を示した。一方、宋側は逼迫する国家財政の再建に追われることとなった。 1174年には南宋から「安南国王」に冊封され、冊封体制の中で最高度の独立性を持つ属国として認められた。
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