エジプトとシリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 09:51 UTC 版)
歴史時代:ファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝 909年から1171年までエジプトを支配したファーティマ朝はシーア派王朝の1つであった。イフリーキヤで成立したファーティマ朝はフスタートの北に位置するカイロに首都を建設し、フスタートは経済の中心地であり続けた。ファーティマ朝は聖俗の重要な建築様式を生み出し、アル=アズハルとアル=ハキムのモスクや、宰相バドル・アル=ジャマリが建設したカイロの城壁などが残存している。また木、象牙、釉の下にラスター彩と彩色を施した焼き物、金銀、象嵌した金属、不透明ガラス、それからとりわけ天然水晶など、最も多様な素材による美術品の豊かな産出の源でもあった。当時の職人には、キリスト教徒のコプト人が多数おり、キリスト教の図像を持つ数多くの作品がそのことを裏付けている。とりわけ寛容であったファーティマ朝の治世下では、キリスト教徒が多数を占めていたのである。その美術は豊かな図像が特徴となっており、人間と動物の姿が活き活きとした表現で多用され、ラスター彩陶器に施された目玉文様のような純粋に装飾的な要素からは解放される傾向にあった。地中海沿岸、とりわけビザンチンの文化との商業的接触により技法と様式の両面で豊かなものとなったのである。また丸彫り彫刻を(多くの場合ブロンズで)作らせた数少ない王朝の1つでもあった。 同時期にシリアでは、セルジューク朝の王子たちの養育係的な存在であるアタベクが権力を持ち、1171年にはサラーフッディーンがファーティマ朝のエジプトを占領してアイユーブ朝を創設した。建築にとってはあまり良い時代ではなかったが、それでもカイロの街の防衛施設の修繕と改良は行われ、高級品の生産も途切れた訳ではなかった。釉の下にラスター彩や彩色を施した焼き物や、高品質な象嵌した金属工芸の生産は続けられ、12世紀の最後の四半世紀には揃い物のゴブレットや特に瓶などのエナメル装飾を施したガラスも出現した。 マムルークが1250年にはエジプトでアイユーブ朝から権力を奪い、1261年にはシリアでモンゴル人と戦いその価値を認めさせた。この特異な政体は1517年までの3世紀弱に亘って続き、スルタンもしくは首長による巨大な総合施設からなる豊かな石造建築の様式が特にカイロで実現することになる。スルタンの地位が不安定であったため支配権を保つには多くの施設を寄進せざるを得ず、この時期には幾千もの建物が建造された。装飾は概してアブラクの技法に沿って、色取り取りの石を嵌め込むことや放射状の幾何学文様を持つ寄せ木細工を木部に施すことで行われた。エナメル彩のガラスや象嵌した金属工芸も庇護の対象となり、各地に輸出された。真鍮製品の製造者ムハンマド・イブン・アル=ザインの署名がある、イスラームの美術品で最も高名なものの1つである聖ルイ王の洗礼盤(フランス語版)はこの時代のものと推定されている。
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