エジプトでの成功後
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「2010年-2011年アルジェリア騒乱」の記事における「エジプトでの成功後」の解説
2月11日にはエジプトでムバーラクが大統領退陣を表明、これに呼応し同日夜にはブーテフリカ退陣を要求するデモが発生し、6人が逮捕された。エジプトでのデモ成功を受けて人権活動団体などが組織した連合体「変革と民主主義のための全国連盟」が大規模デモを呼びかけ、政権側も事前に3万人もの警官隊を投入。翌12日にはアルジェで学生や人権活動家、医師、国会議員など2,000人が参加したデモが発生、警官隊と衝突し催涙ガスが使われたほか多数の参加者が拘束され、その数は400名とも1000名ともされた。またアルジェリア第二の都市オランでも、また13日にはアルジェリア北東部に位置する都市アンナバでも数百名規模の反政府デモが実施された。アンナバでは警官隊との衝突が起きている。 政府当局によるジャーナリストへの取材妨害行為、またデモが呼びかけられたインターネットを遮断するといった行為も、エジプトと同様に繰り返された。 2月13日、野党勢力などはブーテフリカが退陣するまで毎週土曜日にデモを実施する方針を明らかにした。2月16日には一連のデモによる死者が365人に達したと政府当局より発表された。
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