人権擁護者
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ナビゲーションに移動 検索に移動人権擁護者(じんけんようごしゃ、英: Human Rights Defender)とは、国際連合憲章の「人権と基本的自由の促進」の原則を踏まえて、世界人権宣言や国際人権法に定められた人権を平和的に促進する人々の総称である。個人であれ団体であれ、弁護士の法律家であれ、一般のアマチュアボランティアであれ国際的に承認された人権の保護と促進のため活動する全ての個人や団体、非政府組織を含む。
1998年12月9日の国際連合総会で採択された、「個人、団体及び社会組織の世界的に承認された人権と基本的自由を促進、保護する権利と義務についての宣言」[1](国際連合総会決議53/144による)によって定められた。この宣言が採択されて以降、それまで使われていた人権活動家 (Human rights activist) や人権問題専門家 (Human rights professional)、人権運動家 (Human rights worker)、人権監視者 (Human rights monitor) よりもより適切で使いやすい人権擁護者の語が(主に英語圏で)広く使用されるようになった[2][3]。
1998年には、『すべての人権擁護者、“世界中の数多くの勇敢な人々”』が、国連人権賞を受賞した。
脚注
- ^ UN Declaration on Human Rights Defender
- ^ “Who is a defender”. 国際連合人権高等弁務官事務所. 2012年12月5日閲覧。
- ^ 日本語においては依然として「人権活動家」の称の方がより多く、平易に用いられている。日本の新聞紙面では「人権擁護者」の称は外資系誌に見られる程度。
関連項目
人権活動家
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「ノルベルト・フォラツェン」の記事における「人権活動家」の解説
フォラツェンはすぐに北朝鮮国民への人道支援と脱北者への援助活動を始める。援助物資をもって板門店に赴き、停戦ラインを越えようとして逮捕されたこともある。2002年には風船に小型ラジオをつけて海や停戦ラインから北朝鮮国内に飛ばそうとしたが、無届けデモの咎で大韓民国の警察に逮捕された。韓国政府の「太陽政策」に反対はしていないが、北朝鮮の人権状況が公表されない限りは評価していない。北朝鮮国内の「教化所」をナチスの強制収容所になぞらえ、金正日総書記をジェノサイドの罪で告発している。 2005年1月から3月までスマトラ島沖地震の津波被害者支援のためインドネシアのアチェで医療活動に従事したが、そこで余ったドイツからの支援物資を携えて韓国に赴き、無届けの反北デモに参加した。2005年3月21日にコンドリーザ・ライス国務長官が大韓民国を訪問した際にはその前で北朝鮮に抗議するプラカードを掲げようとしたが、アメリカの保安要員に排除された。韓国政府は2005年6月4日に彼を国外追放処分にした。韓国内で北朝鮮人のデモ隊に襲われたが、その時、韓国警察は制止してフォラツェンを助けるどころか殴りつけたと告発し、また自分やドイツにいる家族が何者かに脅迫されていると主張している 。同年6月にはソウルにて北朝鮮に関する講演を行ったため、暴漢に襲われたとも主張している。2007年10月に韓国の盧武鉉大統領が南北首脳会談のため訪朝した際には、ソウルにある中継プレスセンターに乱入して排除された。 著書『北朝鮮を知りすぎた医者 国境からの報告』(Diary of a mad place, ISBN 1893554872)は日本で先行発売され、ベストセラーになった。
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