スマトラ島沖地震とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > ビジネス > 新語時事用語辞典 > スマトラ島沖地震の意味・解説 

スマトラ島沖地震

読み方:スマトラとうおきじしん

インドネシアスマトラ島沖合い発生する地震総称2004年マグニチュード9.1の巨大地震発生し以来毎年のようにマグニチュード7~8級大規模な地震発生している。2012年4月11日にもマグニチュード8.6の地震発生した

スマトラ島沖には海洋プレート境界存在しインド・オーストラリアプレートユーラシアプレートの下に潜り込む活動により「ジャワ海溝」と呼ばれる海溝形成している。少しずつ歪み蓄積し特定のタイミングエネルギー解放されることで大規模な地震発生する

スマトラ島沖地震の発生メカニズム日本海溝三陸沖地震発生する仕組み似た部分も多いとされる。島から見て海溝外側発生するアウターライズ地震発生しやすいという。
2004年発生したスマトラ島沖地震では「インド洋大津波」などと呼ばれる大津波発生し沿岸地域一体に壊滅的な被害もたらした

「スマトラ島沖地震」と同様に地震多発地帯過去に度々発生している地震総称する呼称として「チリ地震」「ニュージーランド地震」(クライストチャーチ地震)、「トルコ地震ならびに三陸沖地震」などがある。

スマトラ島沖地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/31 08:37 UTC 版)

スマトラ島周辺のM5.5以上の地震(1900-2016)

スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん)は、スマトラ島周辺で起こる大きな地震の名称。スマトラ沖地震スマトラ地震とも通称される(後者についてはスマトラ島内で発生した地震との使い分けに留意)。スンダ海溝の近くで起きている海溝地震とスンダ海溝に並行しているスマトラ断層の付近で起こる地震が主である。本項ではスマトラ島周辺で起こる地震の全体の概要を説明する。なお、単にスマトラ島沖地震という場合、通常は2004年に発生したマグニチュード9.1の地震を指すことが多い。

2000年以降の主な「スマトラ島沖地震」

時期 (WIB) 名称 マグニチュード 震源地
2000年06月04日 スマトラ島沖地震 (2000年) 7.9 スマトラ島南方沖
2004年12月26日 スマトラ島沖地震 (2004年) 9.1 バンダ・アチェ南南東沖
2005年03月28日 スマトラ島沖地震 (2005年) 8.6 メダン南西沖
2007年09月12日 スマトラ島沖地震 (2007年) 8.5 ブンクル南西沖
2009年09月30日 スマトラ島沖地震 (2009年) 7.5 パダン西北西沖
2010年04月06日 スマトラ島沖地震 (2010年04月) 7.8 バニャック諸島英語版付近
2010年05月09日 スマトラ島沖地震 (2010年05月) 7.2 バンダ・アチェ南南東沖
2010年10月25日 スマトラ島沖地震 (2010年10月) 7.7 パダン南沖
2012年01月10日 スマトラ島沖地震 (2012年1月) 7.2 バンダ・アチェ南西沖
2012年04月11日 スマトラ島沖地震 (2012年4月) 8.6[1] バンダ・アチェ南西沖
2016年03月02日 スマトラ島沖地震 (2016年)英語版 7.9 スマトラ島南西沖

スマトラ島周辺で起こる地震の概要

周辺の地形図

ミャンマーから大スンダ列島小スンダ列島ティモール島にかけて、インド・オーストラリアプレートユーラシアプレートがぶつかり合うスンダ海溝(ジャワ海溝)がある。ここは世界有数の地震多発地帯で、スマトラ島周辺では100年から150年の周期で大きな地震が繰り返し発生している。海に面している面積が大きいため、二次災害として津波が起きやすくなっている。過去から地震を多数経験してきており、2000年代に入ってから発生した上記の地震もその一連の流れの一つである。

過去の記録では901年頃にM8.9と推定される地震、1797年にスマトラ島中部沖でM 8.4と推定される地震、1833年にスマトラ島南部沖でM 8.9と推定される地震、1861年にスマトラ島北部沖でM 8.5と推定される地震などが起きている。

2004年の地震では、スマトラ島北西沖からアンダマン・ニコバル諸島にかけてのプレートの境界(ジャワ海溝)が1,000km超にもわたる巨大な範囲でずれ、一気にマグニチュード9.1のエネルギーが解放された。これによる被災者は120万人,死者及び行方不明者数30万人以上,被害総額は78億ドル超に達すると計算されているが、実際の被害額はまだ多いと思われる。二次災害として、大きな津波が起きたため、津波のみでも甚大な被害が生じた。この地震により周辺のユーラシアプレートにかかる力が大きく変わり、2005年の地震などを誘発[注 1]しているものと考えられている(「スマトラ島沖地震 (2004年)#地球への影響」も参照)。インドネシアで2004年以降地震が急増しているのは、このためではないかと見られている。なお、地震の種類としては2009年の地震(海洋プレート内地震)を除き、プレート間地震(海溝型地震)となっている。この他、スマトラ島の沖で発生したものではないが、2013年にはスマトラ島内(北部)でもM 5.9の直下型地震が発生している(スマトラ島地震)。

本来、「スマトラ島沖」はスマトラ島北西沖からスマトラ島南東沖までの広い範囲を指すが、2004年12月26日にマグニチュード9.1の地震が発生して大きく報じられて以来、「スマトラ島沖地震」はこの地震のことを指す場合が非常に多くなった。

これらの地震により火山活動も活発となっており10以上の火山で地震が増加[2]2006年5月と2010年10月にはムラピ山が噴火に至っている。また巨大地震の頻発により、トバカルデラにおける破局噴火に繋がる可能性も懸念されている[3]

脚注

注釈

  1. ^ 2005年の地震に関しては、2004年の地震と震源域が一部重複しているため、連動型地震であった可能性も指摘されている。

出典

関連項目


スマトラ島沖地震(2004年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 03:46 UTC 版)

防潮堤」の記事における「スマトラ島沖地震(2004年)」の解説

2004年12月26日、スマトラ島沖地震で発生した津波によってインド南東部海岸数千名が死亡したが、かつてフランスの植民地だったポンディシェリは難を逃れた300年弱の植民地時代の間にフランス人技師らが巨大な石積み防潮堤作って維持したため、通常の満潮時の水位より24フィート(7.3メートル)の高さの津波からも旧市街地守られた。 この防潮堤完成したのは1735年のことである。その後フランス人らは防潮堤強化し続け、港に打ち寄せる波による侵食を防ぐために1.25マイル (2km) 沖合い海岸線沿ったところに巨礫積み上げた。最も高いところでは、海抜27フィート8.2メートル)ある。積み上げた巨礫は1トン重さのものもある。防潮堤毎年検査されていた。すき間生じたり、石が砂に沈んだりすると、政府はさらに巨礫追加して強度維持していた。 インドネシア沖合で(マグニチュード9.0以上の巨大海底地震起き、それによって生じた津波インド海岸襲ったとき、ポンディシェリでは600人が死亡したが、そのほとんどは防潮堤外側に住む漁師だった。

※この「スマトラ島沖地震(2004年)」の解説は、「防潮堤」の解説の一部です。
「スマトラ島沖地震(2004年)」を含む「防潮堤」の記事については、「防潮堤」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「スマトラ島沖地震」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スマトラ島沖地震」の関連用語

スマトラ島沖地震のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スマトラ島沖地震のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
新語時事用語辞典新語時事用語辞典
Copyright © 2025 新語時事用語辞典 All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスマトラ島沖地震 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの防潮堤 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS