スマトラ島沖地震 (2005年)
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スマトラ島沖地震(2005年) | |
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震源付近の地図
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本震 | |
発生日 | 2005年3月28日 |
発生時刻 | 16:09:36(UTC) 23:09:36(現地時間) 3月29日1:09:36(JST) |
震央 | ![]() 北緯2度4分26.4秒 東経97度0分46.8秒(北緯2度04分26秒 東経97度00分47秒 / 北緯2.074度 東経97.013度) |
震源の深さ | 30 km |
規模 | モーメントマグニチュード(Mw)8.6 |
最大震度 | 改正メルカリ震度VI: バンダ・アチェ |
津波 | インドネシア・シムルエ島 3m |
地震の種類 | 海溝型地震 |
被害 | |
被害地域 | ニアス島周辺を中心とするインドネシア |
出典: 特に注記がない場合はUSGSによる。
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プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん)は、2005年3月28日16時9分36秒[1](UTC、現地時間 午後11時9分36秒)にスマトラ島沖で発生した地震である[2][3][4]。ニアス島付近で発生したことからニアス島沖地震とも呼ばれる。
概要
2004年12月26日のスマトラ島沖地震の余震がだいぶ収まり、規模も小さくなってきた2005年3月28日16時9分36秒 (UTC) に、同地震の震源の南東約250km沖で、モーメントマグニチュード (Mw) 8.6[5]の地震が発生した[6][7]。この地震は、スマトラ島沖地震の余震ではなく、別の地域を震源とする誘発地震(広義の余震とも呼ばれる)である。
順位 | 名称 | 発生日(UTC) | 規模(Mw) |
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1 | チリ、バルディビア | 1960年5月22日 | 9.5 |
2 | アラスカ、プリンス・ウィリアム湾 | 1964年3月28日 | 9.2 |
3 | スマトラ島・アンダマン諸島 | 2004年12月26日 | 9.1 |
東北地方太平洋沖地震 | 2011年3月11日 | ||
5 | カムチャツカ半島東方沖 | 1952年11月5日 | 9.0 |
6 | チリ、ビオビオ | 2010年2月27日 | 8.8 |
エクアドル・コロンビア | 1906年1月31日 | ||
8 | アリューシャン列島、ラット諸島 | 1965年2月4日 | 8.7 |
9 | アリューシャン列島、ユニマク島 | 1946年4月1日 | 8.6 |
アッサム・チベット | 1950年8月15日 | ||
アリューシャン列島、アンドレアノフ諸島 | 1957年3月9日 | ||
スマトラ島北部 | 2005年3月28日 | ||
スマトラ島北部西方沖 | 2012年4月11日 | ||
規模はアメリカ地質調査所による |
2004年12月26日のスマトラ島沖地震の発生によりプレートにかかっていた圧力が開放され、代わりにプレートの他の部分へ圧力がかかったために、もともとあった断層に歪(ひず)みが溜まり起こった、云わばスマトラ島沖地震が引き金になった地震ではないかと見られている[8]。また、この地震の震源域の延長はおよそ350kmと推定されている。この震源域は2004年のスマトラ島沖地震の震源域に隣接し一部が重複しており、2つの地震の震源域を重ね合わせると1,600kmにも及ぶ[9]。そのため、2004年の地震と今回の地震は東海・東南海・南海連動型地震のような連動型の巨大地震であった可能性も指摘されている[10]。
このことから、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの境界地域で、近年地震が起こっていない部分では、更なる地震に警戒が必要であるという研究や報告が見られた(スマトラ島周辺で起こる地震全体の概要参照)。
また、ニアス島付近では1861年に津波を伴うM8を超える地震が発生している他、この地震の震源域のすぐ南では1833年にもM8を超える地震が発生している[11]。
地震
- 発生時刻:2005年3月28日午後4時9分36秒(UTC)
- 震源:スマトラ島メダン南西沖245kmの、北緯2度4分26.4秒、東経97度0分46.8秒、深さ30kmの地点[1]
- モーメントマグニチュード(Mw):8.6 [1](気象庁は、Mj 8.5)
- インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの境界地域であるスンダ海溝で発生した。
- 地震による強い揺れはスマトラ島西岸では2分間ほど、バンダ・アチェなどでは3分間ほど続いた。幅の大きな横揺れだった。
津波
この2005年3月28日の地震では、発生から数十分後にタイ、インドネシア、ニコバル諸島に向けて津波警報が発令されて、情報を聞いた人々が避難した[12]。タイでは、地震発生直後に非公式ながらテレビなどで津波警報を出し、対応は迅速だった。しかし、最も震源に近かったインドネシアのニアス島のように情報が伝わらなかった地域も数多くあり、避難時にはインド洋沿岸の多くの地域で混乱が見られた[13][14]。
- 各地の津波の高さと、発生から到達までの時間
被害情報
2005年3月31日12時現在、2000人程度が死亡したとの情報がある。
インドネシア
- 同国スマトラ島の西150kmほどに位置するニアス島は震源から数10kmと近かったため、多くの建物が倒壊し、同島東岸の都市では、建物の大半が倒壊し、多数の火災が発生した[16][17][18][19][20][21]。地震後の集計によると、およそ1000人の島民が亡くなった[22][23]。
- また、地震発生から1か月程度後の調査により、ニアス島周辺では大規模な地盤の変動が数kmにわたって起こり、島の西が隆起し、東部が沈降したことが分かった。そのため、北西部ラヘワでは新たな島が出現し、東部海岸では数集落が海中に没し、土地を失った[24]。
その他の地域
日本人の被害状況
脚注
- ^ a b c USGS Magnitude 8.6 - NORTHERN SUMATRA, INDONESIA Archived 2009年10月31日, at the Wayback Machine.
- ^ 「スマトラ沖でM8.7地震、死者千~2千人情報」『読売新聞』読売新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年3月30日時点におけるアーカイブ。2025年4月4日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖でまた大地震、2千人死亡か M8.7」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年3月31日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖でM8.7 『死者1000-2000人』」『東京新聞』中日新聞東京本社、2005年3月29日。オリジナルの2005年3月30日時点におけるアーカイブ。2025年4月4日閲覧。
- ^ USGS速報はMw8.5、改定値Mw8.7、最終改定値Mw8.6に修正
- ^ 「気象庁、素早く「津波警報」 スマトラ沖地震」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年3月29日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「M8・7死者2000人か スマトラ沖地震 恐怖で住民パニック」『中日新聞』中日新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年4月8日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「「双子地震」の見方も スマトラ沖地震」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年3月31日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 衛星SAR画像分析による 2004・2005 年スマトラ沖地震に伴う隆起沈降域の把握 (PDF) 飛田幹男, 今給黎哲郎 ,水藤尚, 加藤敏, 林文, 村上亮, 藤原智, 『国土地理院時報』 2006 No. 109, pp.21-32,
- ^ 「英の研究チームが大地震を警告 17日発行の科学誌で」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年4月1日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ USGS Poster of the Northern Sumatra Earthquake of 28 March 2005 - Magnitude 8.7
- ^ 「「高台へ」よみがえる悪夢 「津波来る」口々に」『中日新聞』中日新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年4月8日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「復興半ば、家々崩壊 スマトラ沖地震被害の二アス島」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年3月31日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖地震・ニアス島ルポ」『東京新聞』中日新聞東京本社、2005年3月31日。オリジナルの2005年4月6日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「死亡400人確認、3mの津波も…スマトラ島沖地震」『読売新聞』読売新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年3月30日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「震源地近くで数百人下敷き、救出難航 死者430人確認」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月30日。オリジナルの2005年3月31日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「道路寸断進まぬ救援、まだ多数生き埋め…被災ニアス島」『読売新聞』読売新聞社、2005年3月30日。オリジナルの2005年4月1日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「がれきと泥のニアス島、倒壊家屋を素手で掘る住民も」『読売新聞』読売新聞社、2005年3月30日。オリジナルの2005年4月1日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖地震、ニアス島 がれき散乱し今も白煙」『中日新聞』中日新聞社、2005年3月30日。オリジナルの2005年4月8日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「がれきの下から1日半ぶり救出 スマトラ沖地震」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月31日。オリジナルの2005年4月6日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「がれきの下、5日ぶり男性救出 スマトラ地震のニアス島」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年4月2日。オリジナルの2005年4月4日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「ニアス島 1000人超死亡か 住民多数下敷き スマトラ沖地震」『中日新聞』中日新聞社、2005年3月30日。オリジナルの2005年4月8日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖地震 ニアス島1000人以上死亡か」『東京新聞』中日新聞東京本社、2005年3月30日。オリジナルの2005年4月9日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖、地震で約10の新たな島 国土地理院が解析」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年5月16日。オリジナルの2005年7月6日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖地震の死者さらに数百人 バニャック諸島で」『中日新聞』中日新聞社、2005年3月30日。オリジナルの2005年4月8日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「交通寸断、負傷者移送に遅れ スマトラ沖地震」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月30日。オリジナルの2005年4月1日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「バニャック諸島で200~300人死亡か スマトラ地震」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月30日。オリジナルの2005年4月1日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「支援のNGO、続々と被災地へ スマトラ島沖地震」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月30日。オリジナルの2005年4月1日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「「日本人の被害情報なし」スマトラ沖地震で町村外相」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年4月16日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「アチェの邦人全員無事 外務省が確認、緊急援助隊増派も」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月30日。オリジナルの2005年4月16日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
関連項目
- スマトラ島沖地震_(2005年)のページへのリンク