人権活動家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 14:14 UTC 版)
「トゴチョグ・エンフバト」の記事における「人権活動家として」の解説
2002年に南モンゴル人権情報センターを設立。その代表として、獄中にいた南モンゴルの独立運動家であるハダの家族を支援し、南モンゴルの人権状況に関する情報や、南モンゴルで弾圧を受けている人々に直接国際電話等で取材して得た情報をインターネット等を通じて発信している。なお、南モンゴル人権情報センターは、南モンゴルにおける民主政体の樹立を目標に掲げており、必ずしも分離独立を主張しているわけではない。 2010年12月10日に釈放日を迎えたハダとその家族が行方不明になると、アムネスティなどの人権団体やアメリカ合衆国のマスコミに積極的に働きかけ、ハダの解放を求める運動に尽力する。 2011年1月8日、エンフバトの呼びかけにより世界各国に散在する南モンゴルの独立運動家、民主運動家、人権活動家が一斉に各国の中国大使館、領事館の前で南モンゴルの人権状況の改善を求める抗議活動を行った。 また、同月19日にも、胡錦濤国家主席の訪米に合わせ、チベット、東トルキスタン、台湾の活動家らと連帯し、ホワイトハウスの前でラビア・カーディルらと共にハダの解放等を訴える抗議活動を行った。
※この「人権活動家として」の解説は、「トゴチョグ・エンフバト」の解説の一部です。
「人権活動家として」を含む「トゴチョグ・エンフバト」の記事については、「トゴチョグ・エンフバト」の概要を参照ください。
- 人権活動家としてのページへのリンク