私生活と人格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 16:32 UTC 版)
「デズモンド・ムピロ・ツツ」の記事における「私生活と人格」の解説
ツツは少年時代から熱心なキリスト教徒であった。彼は生涯に渡り文学と読書を愛し、アフリカの儀礼の伝統を保存することに情熱を持った。彼は無作法な振る舞いや軽率な言動を許容しないところがあり、雇用する者に対しては時間厳守を主張した。ギッシュ(Gish)は彼を温かみと活力のあり、外向的で感性が豊かだと説明している。アレン(Allen)はツツが子供たちに対しては「愛情深いが厳格な父」だと述べている。彼はゴシップ嫌いとして知られ、スタッフにそれをやめさせている。彼は醜悪な言葉(bad language)に怒り、民族差別を嫌悪した。彼は他者との個人的接触において怒りを見せることは滅多に無かったが、彼の良識(integrity)に挑戦されていると感じたならば、怒ることがあった。ツツは人を信じやすい傾向があり、彼に近しい人々の中には、これが様々な場面において賢明ではないと考える人もいた。彼はその立場に伴う注目を楽しんでいる面があり、そのことでしばしば妻にからかわれていると語った。 彼はクリケットのファンであり 、彼のお気に入りの食べ物はサモサ、ファット・ケーキ(fat cake、揚げ菓子)、ヨギ・シップ(Yogi Sip、ヨーグルト飲料)である。ホストがツツの食事の好みについて尋ねた時、彼の妻は「5歳児が好むような物を考えてください(think of a five year old)」と答えた。リラックスするためには、クラシック音楽の観賞を楽しんだり、政治や宗教に関する本を読んだりした。ギッシュは「ツツの声と発言は聴衆を明るくすることができた。禁欲的であったり、ユーモアに欠けたことはなかった。」と書いている。ツツは毎朝午前4時に目覚め、職務の前に早朝の散歩を行い、祈り、聖餐(Eucharist)をする。金曜日には、夕食まで断食をした。また、聖書を毎日読んでいる。ツツは聖書を毎日読み、人々にそれを一字一句に従う[訳語疑問点]のではなく、複数の書物の集成として読むことを勧め、「聖書は多数の書物からなり、それらは要素ごとに異なるカテゴリーを持っている[訳語疑問点]」ことを理解しなければならないと発言した。「聖書の中には否定しなければならない箇所もいくつかある。聖書は奴隷制度を認めていた。聖パウロは女性は教会で一切話すべきではないと言ったし、それを引き合いに出して女性を聖職者に任命すべきでないといっていた人たちもいる。受け入れるべきではないことが数多くある。」。 1955年7月2日、ツツは大学で出会った教師のノマリゾ・レア・ツツ(英語版)と結婚した。夫妻は4人の子供、トレヴァー・タムサンカ(Trevor Thamsanqa)、テレサ・タンデカ(Theresa Thandeka)、ナオミ・ノントンビ(Naomi Nontombe)、そしてムポ・アンドレア(Mpho Andrea)を儲けた。子供たちは全員スワジランドのウォーターフォード・カマラバ(英語版)学校に通った。 1975年、彼はソウェトの名高いヴィラカジ・ストリート(英語版)にある、現在ツツ・ハウス(英語版)として知られる建物に移った。ヴィラカジ・ストリートには故ネルソン・マンデラもかつて住んでいた。この通りは、2人のノーベル賞受賞者が住んだ事がある世界でも数少ない通りであると言われている。 1991年、ツツの息子トレヴァーは民間航空法(the Civil Aviation Act)に違反したことで有罪となった。これは東ロンドン空港で南アフリカ国空機に爆弾が仕掛けられていると偽って主張したためである。彼は控訴中の保釈を認められたが出頭せず、最終的に1997年8月、ヨハネスブルクで捕らえられた。彼は1997年にデズモンド・ツツが共同設立者であり議長を務めていた真実和解委員会(英語版)の特赦を受け、このことで優遇処置疑惑によって厳しい批判を集めた。 1997年、ツツは前立腺がんであると診断され、アメリカで手術を受けて成功した。その後、2007年に設立された南アフリカ前立腺がん財団の後援者となった。 79歳の誕生日から、ツツは公的な生活から段階的に退き、1週間のうち1日だけオフィスに勤務するようになった。これは2011年2月まで続いた。2011年5月23日、彼はマサチューセッツ州のシュルーズベリーでスピーチを行いった。彼が南アフリカ外で主要な公式のスピーチを行うのはこれが最後だと見られていた。ツツは2011年5月まで公的活動を続けたが、それ以降は活動を停止した。 しかしながら、彼は引退した後の2012年5月13日、ワシントン州スポケーンのゴンザガ大学で卒業式のスピーチを行い、同年9月12日にはインディアナポリス、バトラー大学(英語版)のデズモンド・ツツ・センターでも演説を行った。 ナオミ・ツツはハートフォードに拠点を置く、南アフリカの開発と救済のためのデズモンド・ツツ財団(the Tutu Foundation for Development and Relief in Southern Africa)を設立した。彼女はケンタッキー大学のPatterson School of Diplomacy and International Commerce(英語版)に在籍し、人権活動家としての父の足跡を辿っていた。彼女は現在[いつ?]、テネシー州ナッシュビルにあるヴァンダービルト大学神学校(英語版)の大学院生である。デズモンド・ツツの別の娘、ムポ・ツツもまた、父の足跡をたどり、2004年には父によって米国聖公会の祭司(priest)に叙任された。彼女はまた、the Tutu Institute for Prayer and Pilgrimageの創設者であり事務局長であると共にグローバル・エイズ連盟(the Global AIDS Alliance)の会長である。
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