エジプトでの施政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 21:39 UTC 版)
「ナウクラティスのクレオメネス」の記事における「エジプトでの施政」の解説
エジプトで穀物が不足した時、クレオメネスはエジプトからの穀物の輸出を禁止し、重い輸出税をかけた。また、穀物の価格が10ドラクマになった時、クレオメネスは穀物を買い取って32ドラクマで売った。その他にもクレオメネスは穀物価格のために市場に干渉した。経済学者のカール・ポランニーは、クレオメネスが運営した穀物市場は、世界初の価格が変動する国際的な市場だったと指摘している。 アレクサンドロスはクレオメネスにアレクサンドリアの建設を命じ、クレオメネスはエジプトの主要な市場であるカノプスの人々にアレクサンドリアへの引越しを通達したが、カノプスの人々はクレオメネスに金を渡してそれを免れようとした。アレクサンドリアの建設が進むとクレオメネスは再び同じ内容を通達し、それを断るならば以前以上の額の支払うよう要求した。その金額はカノプスの人々の支払い可能な額ではなく、彼らはしぶしぶ引っ越した。 クレオメネスは迷信によっても金儲けをした。彼の息子の一人がワニに殺され、彼はワニを滅ぼすよう命じた。しかし、エジプトの神官たちはワニを神聖視しており、ワニを守るために金を集めてクレオメネスに渡したため彼は命令を取り消した。別の機会に彼は神官たちに彼らの祭事は金がかかりすぎるので減らすべきだと命じたが、神官たちが神殿の宝物を引き渡すのとひきかえに命令を取り消した。 親友のヘファイスティオンが死んだ時(紀元前324年)、神託を受けたアレクサンドロスはヘファイスティオンを英雄神として祀ることにし、クレオメネスにアレクサンドリアへの霊廟の建設を命じた。この時王はその仕事に励むならば彼の不正の数々を見逃すと約束した。
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