霊廟の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 04:21 UTC 版)
アルテミシアは霊廟建設の費用を全く惜しまなかった。彼女は、当時最も優れた建築家と芸術家を連れてくるため、ギリシアに使いを送った。こうして2人の一流建築家ピュティオス、サテュロスと4人の高名な彫刻家スコパス、ブリュアクシス、レオカレス、ティモテオスが造営に参加した。中でもスコパスは、他の世界の七不思議のひとつエフェソスのアルテミス神殿も手がけている。 霊廟は町を見渡す丘の上に建てられた。工事場はレンガの壁に囲まれ、建築家たちはその中で作業をした。まず、その中央に墓本体となる石壇が置かれ、ライオンの石造を横に配した階段が石壇に向かって築かれた。そして、この外壁に沿って神や女神の像が置かれ、角ごとには馬に乗った戦士の像が墓を守るように置かれた。これが霊廟の第1層である。また、この層の上部にはギリシア神話や歴史の一場面を描いた彫刻帯が施された。スコパスが東側、ブリュアクシスが北、ティモテオスが南、レオカレスが西の彫刻を担当した。スコパスは、ギリシア人とアマゾン族(好戦的女性部族)の闘争を描き、他の3人はラピテス族とケンタウロスの闘争などを描いた。 第1層から第2層へと工事は移る。第1層から第2層へと36本の柱が上げられた。第2層は外に露出した円柱の集まりである。短い辺に9本ずつ、長い辺に11本ずつ柱が配されたと考えられている。柱と柱の間には1体ずつ像が置かれ、柱に囲まれた内側には、巨大な屋根を支えるため石のブロックが積まれた。 第3層は、24段のピラミッド型の屋根であった。この頂上には、巨大なクァドリガ(4頭立ての馬車)の像が置かれた。この馬車に、マウソロスとアルテミシアの像が乗っていたとも言われているが、何も乗っていなかったという説が有力である。根拠としては、ギリシア世界では主のいない馬車は主の死を意味していたこと、マウソロスとアルテミシアの像は馬車の像のそばで発見されたが、彼らの像が馬車に乗る格好をしていなかったことなどが挙げられる。どうやら、彼らの像は、第2層あるいは第1層に他の像と同様に置かれていたらしい。
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