霊廟建築とは? わかりやすく解説

霊廟建築

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 13:54 UTC 版)

フマーユーン廟」の記事における「霊廟建築」の解説

霊廟上下二層構造をとっており、東西南北四面それぞれは同じ立面ファサードをもっている。 霊廟中心に玄室設けられており、その外側アーケードめぐらせた低平な下層基壇)は、一辺およそ95メートル矩形をなして高さは約7メートル達している。その上方に設けられ上層建築一辺およそ48メートルであり、中央墓室4つ正方形墓室対角上に取り巻くような形状配置されており、各面に対しアーチ状の天井をもつイーワーンひらいている。それぞれのファサード正面)は、赤色砂岩白色大理石組み合わせて幾何学的な文様華やかにデザインされている。ここではまた、象嵌の手法も採り入れられている。 霊廟中央広間には、屋根天井を切りはなした中央アジア的な二重殻のドーム有する外殻ドームは総白大理石で、その最頂点までの高さはおよそ38メートルにおよんでいる。ドーム屋根周囲には支えられた傘のような形状のチャトリー(小塔)が立ち並んでインド印象を受けるが、これはペルシア風のアーチドーム主体にした建築に、多用したヒンドゥー装飾各所ほどこされているためである。 外殻ドーム12メートル下には内部をおおうドームがあり、3連アーチ窓が2段並んで玄室天井としては好適な高さとなっている。この半円ドームは、周囲墓室四方イーワーン結びつける重要な空間となっている。 墓廟には、すべて合わせると計150人の死者埋葬されている。フマーユーン王妃ベーグム王子ダーラー・シコー、そして、重きをなしたムガル朝宮廷人たちの遺体である。玄室となる建物中央にはフユマーンの墓として白大理石石棺置かれるが、これはいわば仮の墓、すなわち(セノターフ)であり、実際フマーユーン遺体納めたはこの直下安置されている。このような形式は、中央アジア葬送由来している。宮廷人たちのについては、資料欠いており、それぞれの石棺どのように配置されたか、その詳細はよくわかっていない。 建築史的には、同時代ペルシア建築共通する要素が多いといわれているが、フマーユーン廟採用され上層建築形式過去の廟建築にはみられず、むしろ宮殿パビリオン系譜連なる形式属している。この形式は、アーグラ近郊シカンドラーに所在するアクバル廟や第4代皇帝ジャハーンギール墓廟であるジャハーンギール廟には採用されなかったものの、第5代皇帝シャー・ジャハーン第一王妃ムムターズ・マハルのためにアーグラ建てた墓廟タージ・マハル」では再び採用されることとなった

※この「霊廟建築」の解説は、「フマーユーン廟」の解説の一部です。
「霊廟建築」を含む「フマーユーン廟」の記事については、「フマーユーン廟」の概要を参照ください。

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