服喪時代とは? わかりやすく解説

服喪時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:41 UTC 版)

ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事における「服喪時代」の解説

ヴィクトリア悲しみ深くその後彼女は10年以上にわたって隠遁生活はじめた日々ワイト島オズボーン・ハウススコットランドバルモラル城などで過ごしてロンドンには滅多に近寄らなくなった。国の儀式にも出席せず、社交界顔を出すともなくなった。たまに人に姿を見せ時には常に喪服姿であった自分だけではなく侍従女官奉公人に至るまで宮殿で働く者全員喪服着用命じていた。ヴィクトリアによればアルバート失った直後3年間は死を希望する心境にさえなっていたという。 政治家たちにとってはヴィクトリアこれまで散々行ってきた政治への介入止めさせる絶好チャンスであり、「喪」に服したいという彼女の意思支持した。だがヴィクトリアは「喪」に服することに全力をあげるために政権交代阻止しようとするようになったアルバート崩御直後の頃、パーマストン子爵政権運営危なくなっていた時期だったが、ヴィクトリア野党党首ダービー伯爵に対して「今の自分政権交代などという心労に耐えられる状態ではない。もし貴下政権打倒目指しているのならば、それは私の命を奪うか、精神狂わせる行為である。」という脅迫的な手紙送っている。これを見たダービー伯爵は思わず「女王陛下そんなに奴らお気に入りだったとは驚いたな」と述べたという。 1862年に再びロンドン万博開催されたが、彼女はアルバートのことを思いだして居た堪れなくなるとし欠席した国民ははじめヴィクトリア同情する人が多かったが、やがていつまで公務出席しない彼女を批判する論調増えていった。特にヴィクトリア三女アリス結婚式をまるで葬式のようにやらせたのを機に女王批判強まっていった。保守的なタイムズ』紙さえも「女王の喪はいつになったら開けるのか」「女王には公人としての義務があり、それを無視するであれば君主制失われるだろう」という忠告論調載せている。女王のあまりの引きこもりぶりに「女王がいなくても国は問題なくやっていけている。王室を養う税金は無駄」などとして共和主義者台頭し始め始末となった女王君主として公務行えないなら皇太子バーティ代行するのが普通であるが、ヴィクトリアはそれも許さなかった。この「出来そこない」の息子のせいでアルバート過労になった考えていたヴィクトリアバーティには重要なことは何も任せないつもりでいた。 引きこもってかりいる身体に悪いという侍医薦めヴィクトリア乗馬馬車出かけるようになり、その関係でバルモラル城でのアルバートの馬係であったスコットランド人ジョン・ブラウン関わる機会増え、彼を寵愛するようになったブラウン事実上ヴィクトリア秘書ボディーガードとなっていき、王族首相といえどもブラウンを介さなければヴィクトリア謁見できなくなったこの女王とブラウンとの関係をマスコミ面白半分に取り上げ二人秘密結婚したなどという噂が流れるに至りヴィクトリアは「ミセス・ブラウン」などと呼ばれるようになった1872年バッキンガム宮殿ヴィクトリア17歳アイルランド人拳銃を向け、ブラウン取り押さえられる事件発生する拳銃に弾が入っていなかったため、犯人の刑は懲役1年だった。二人の間にセックスの関係があったのかについては歴史家の間で意見分かれており定かではないヴィクトリアブラウン親密な関係は1883年ブラウンの死まで続いたが、その頃にはすっかり肥満した老婆になっていたヴィクトリアはあまりゴシップネタにならず、ブラウン勤勉な世話係として評価されるようになっていた。ブラウン亡くなった際にはヴィクトリアアルバート崩御の時並み取り乱したという。そしてブラウン部屋死去まで18年わたってそのままの状態で保存させ、毎日摘みたてのバラ彼の添えさせた。 ただこの服喪時代にもヴィクトリア外交には強い興味持ちパーマストン子爵内閣イタリア統一アメリカ南北戦争ポーランド1月蜂起シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題など他の欧米諸国問題介入企む姿勢見せるとヴィクトリア不介入政府指示してブレーキをかけた。また逆にダービー伯爵孤立主義不介入主義に対してルクセンブルク問題のようにヨーロッパの平和が脅かされる恐れがある問題については積極的に介入するべきであると発破をかける役割担った。 また夫を弔う事には勤勉であり、アルバート銅像霊廟の建設弔慰アルバム作成などに熱心だった。1868年にはスコットランドでの夫アルバートとの思い出綴ったハイランド日誌』を出版したこうした真摯な追悼の姿は共和主義台頭させながらも王室への親近感与えていた。共和主義者ジョン・ブライトも「女王であろう労働者の妻であろう愛する者を失った悲劇への同情広くあるべき」としてヴィクトリア女王への同情表明していた。 最終的にヴィクトリア引きこもり生活から立ち直らせたのはベンジャミン・ディズレーリであった

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