エジプトの国際関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:33 UTC 版)
「エジプト第3中間期」の記事における「エジプトの国際関係」の解説
第3中間期には新王国末期の混乱によってシリアに対する支配が失われ、それと前後してヌビアへの統制も失った。シリアでは新王国時代末期(紀元前12世紀初頭)に「海の民」と呼ばれる諸民族の混成集団の活動によって多数の都市が崩壊した。考古学的にはシリア地方のこの時期は後期青銅器時代から鉄器時代への移行期とされており、また都市規模の縮小、人口の減少などが確認されている。 これまでシリアに支配を広げていたエジプトとヒッタイトが相次いで退場したためにシリア地方では現地勢力による拡張競争が行われた。紀元前1千年紀に入る頃には、文化的性格を異にする多数の小国家がモザイク状にひしめく状態となった。アナトリア半島から北シリアにかけては、ヒッタイトの流れを汲む新ヒッタイト人の諸国家が林立し、中部シリアにはアラム系の諸国家が成立した。南シリアにはヘブライ人が勢力を拡張し、地中海沿岸部ではフェニキア人の都市国家が、そして南部の海岸線にはペリシテ人の都市国家が隆盛に向かった。 支配権が失われた後もエジプトの歴代王朝はしばしばシリアへの介入を行った。この時期の遠征は主に旧約聖書列王記などによって記録されており、第22王朝のシェションク1世や、第25王朝のタハルカによる遠征が名高い。しかし、恒久的な支配を打ち立てるには至らず、むしろ東側から勢力を拡張するアッシリアがシリアへの支配を強めた。アッシリアに対抗するためにシリア諸国はしばしばエジプトの力をあてにした。エジプト側でも時には積極的に反アッシリア活動を煽ったが、次第に後退し最後はエジプトそのものもアッシリアによって占領されるに至る。
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