規模の縮小
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 15:47 UTC 版)
2008年に入り、サルコジはEU域内や欧州委員会に広がった反対論を受けて地中海連合構想の規模を縮小させた。同年2月末にヨーロッパ担当相ジャン=ピエール・ジュイエはこの地域における既存のEU機構と政策を完遂し、充実させるために「地中海の連合 (Union méditerranéenne)」は断念し、「地中海のための連合体 (Union pour la Méditerranée)」を目指すと述べた。その後のドイツ連邦首相アンゲラ・メルケルとの会談で、地中海沿岸諸国に限らず、既存のバルセロナ・プロセスに基づいて地中海連合を設立することで合意した。またトルコも地中海連合をEU加盟の代替案としないという言質をフランスから得たことを受けて、地中海連合への参加に同意した。これらを受けて地中海連合は2008年7月13日に発足する運びとなった。
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規模の縮小
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ヨーロッパ諸国の批判を受けて、サルコジは自らの地中海連合構想の縮小を余儀なくされた。ドイツの反感で仏独両国の首脳会談が2008年の6月まで、3か月間先延ばしになったが、サルコジはなおも同年7月13日に関連EU加盟国と地中海南岸諸国との首脳会談を開くことにこだわった。このことは地中海に面しないEU加盟国が事後承認するだけとなるとして反感を買うこととなった。
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