エジプトの首都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 14:58 UTC 版)
フスタートが首都の1つとして機能していたのは、おおよそ500年間である。641年に建設されたフスタートは、アッバース朝がウマイヤ朝を打倒した750年に、ジャーリフの丘から北側が分割され、アル・アスカル市に組み込まれた。エジプトにおいて、ウマイヤ家とアッバース家の衝突は大きな焦点となることはなかったが、アッバース家は、マシュリク世界ではダマスカスからバグダードに首府を移したように、フスタートからフスタート北方の都市であるアル・アスカルへエジプトの拠点を移した。エジプトの首府がアル・アスカルに置かれていた期間は、750年から868年の間のことである。この期間は、アル・アスカルは新軍事都市、フスタートはミスル・アル・アティーカ(古軍事都市)と呼ばれた。868年にアル・アスカルの北側、イブン・トゥールーン・モスクを中心に、ヤシュクルの丘、ムカッタムの丘、サイイダ・アル=ナフィーサ・モスクに囲まれた地域が分割され、アル・カターイが新設された。905年、アル・カターイは破壊され、再び、エジプトの首府の機能をフスタートは帯びるようになった。970年アル・カターイの北東1kmの地点に新首都アル・カーヒラ(カイロ)が建設されると、アル・フスタート、アル・アスカル、アル・カターイの三都市は再び一つの都市と見なされるようになり、アル・スタートは、アル・カーヒラに対してミスルと呼ばれるのが一般的となった。1168年、シャーワルがカイロにその機能を移すまで、フスタートはエジプトの中心となった。カイロはミスルとも呼ばれるが、ファーティマ朝時代にあっては、ミスルはフスタートの方を指した。
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