エジプトへの旅立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 14:18 UTC 版)
「オンム・セティ」の記事における「エジプトへの旅立ち」の解説
27歳になった時、彼女は若いエジプト人の教員と出会い恋に落ちた。そして、ついに荷物をまとめてエジプトに向かい、到着と同時に結婚を宣言して両親を仰天させた。 エジプトに住んでからも、古代エジプトにしか関心のなかったイーディーは、近代的なカイロに住みたいという夫の希望に対して反発したため、夫婦関係は一時緊張した。彼女はピラミッドの見える場所に住居を構えたいと主張した。まもなく夫妻には子供が生まれたが、彼女は夫の意志に逆らって自分の息子に「セティ」と名付けた。セティという名は紀元前1300年頃の第19王朝初期の戦士として有名なファラオセティ1世にあやかった名前であった。これ以降ドロシーは「オンム・セティ」として知られるようになった。これはエジプト人の血が半分入った息子セティの母という意味である。 結婚後、オンム・セティの夫は真夜中の彼女の奇行にしばしば眠りを中断させられた。オンム・セティはトランス状態になり、月明かりの中でひたすら紙面にヒエログリフを書きつけた。オンム・セティの奇怪な行動はその後一年あまりも続き、書き著した内容も紙面にして70ページにも及んだ。後年になって彼女は「不思議な魔力に捉えられたかのように、無意識のまま」の状態で頭の中にエジプト語が語りかけられたのだと話した。その言葉は「ホル=ラー」と呼ばれる霊によって告げられたもので、オンム・セティの過去生について述べたものだった。(→#エル・ゼイニに明かした秘話) ドロシーはこうした話の詳細を夫に語らなかったため、夫は妻の事が理解できずに苦悩した。更にオンム・セティの周りには奇妙な出来事が次々と起きて、夫婦関係に緊張を与えた。ある日、泊まりに来ていた夫の父親は、オンム・セティのベッドにファラオが座っているのを見た!と叫びながら家から逃げ出した。 結婚から3年後、夫がイラクで教職に就いたことで別居状態になったオンム・セティは、幼い息子を連れてギザの大ピラミッドの近くに移り住み、テント暮らしを始めた。そしてエジプト考古局で製図係の仕事に就き、エジプト考古局初の女性職員となった。
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