バグダードとエジプトへの旅立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/01 11:02 UTC 版)
「ムハンマド・ブン・イドリース・シャーフィイー」の記事における「バグダードとエジプトへの旅立ち」の解説
西暦810年にはシャーフィイーの法学者の名声は独立した一派をなすことが許されるほどに育っていた。当時のカリフ、マアムーンはシャーフィイーをバグダードに呼びよせ、彼にカーディーとなるよう要請した。ところがシャーフィイーはこれを固辞し、その後の814年にはバグダードを去ってエジプトへ行くことにした。シャーフィイーがイラク地方から去った理由ははっきりしていない。しかし、彼のもう一人の師匠、サイイダ・ナフィーサ・ビントル・ハサン(英語版)と出会ったのがエジプトであるというのは明らかである。サイイダ・ナフィーサはシャーフィイーの学びを経済面で援助した。シャーフィイーの著作は、高弟らが口述で行われた彼の講義を書き取り、後で師の前で読み上げたときに添削を受けて作成されている。後世に残された重要な著作のほとんどが、このエジプトで行われた講義の記録とみられる。
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