バグダードの辺境への転落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 01:23 UTC 版)
「イラク王国」の記事における「バグダードの辺境への転落」の解説
現在のイラク領域はアッバース朝のころに、チグリス川中流にバグダードが建設され、イスラム帝国が発展するに伴い「前代未聞の繁栄」を遂げる。しかし、アッバース朝のカリフの権威が失墜し、イスラム世界に王国が樹立されると、イラク地域はイスラム圏の中心の地位を失った。 1258年2月10日にモンゴル帝国のフレグがバグダードを占領し、カリフのムスタアシムを虐殺。今のイラン地域を中心にイル・ハン国を樹立するとイラクは完全に「イラン(イル・ハン国)とエジプト(マムルーク朝)の間」の国境地帯に転落する。 その後、オスマン帝国、サファヴィー朝など「非アラブ」のイスラム帝国が現れ、ながらくイラクは辺境であった。しかしながら、シーア派を国教とするサファヴィー朝にとってはシーア派の聖地が多数所在し、イランからも巡礼者が往来するイラク地域の領有は政治的にも経済的にも重要であり、オスマン帝国との争奪戦が続くこととなる。しかし、オスマン帝国のムラト4世がバグダードを占領し、1639年にサファヴィー朝と平和・国境条約を締結したことでオスマン帝国が最終的に勝利する。さらに1668年にバスラをも占領することでイラク全土がオスマン帝国の一部となることが確定する。
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