三都とは? わかりやすく解説

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さん‐と【三都】

読み方:さんと

大きな三つ都市。特に、江戸大坂京都をさしていった


三都

読み方:サントsanto

江戸京都・大坂。


三都

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/17 02:35 UTC 版)

三都(さんと)




「三都」の続きの解説一覧

三都(江戸時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 15:01 UTC 版)

日本三大都市」の記事における「三都(江戸時代)」の解説

詳細は「三都」を参照 江戸時代三大都市は、大坂・京・江戸であり、総じて「三都」と呼ばれていた。それぞれの都を表して大坂の食い倒れ』『京の着倒れ』『江戸呑み倒れ』という言葉がある。 1590年天正18年)に徳川家康江戸城居城としてから江戸発展が始まるが、それでも江戸幕府置かれ当時人口順では京・大坂・江戸だった(江戸の人口#江戸時代初期の人口参照)。山城国の京、および、摂津国大坂現代大阪市摂津国河内国にまたがる)はいずれ畿内にあり、合わせて上方」と呼ばれた下り物参照)。 大坂の陣1614年/1615年)により、人口順は京・江戸大坂変化した大坂近世日本における物流中心地天下の台所)、京は日本最大工業都市として発展し江戸出来たばかりだったが、日本最大知行地700万石とも言われる)を持つ幕府在所であるのみならず当初自発的だった参勤交代1635年寛永12年)の「武家諸法度」によって制度化されると、各藩大名従者隔年集住するため、当時日本で最も富裕層集まる都市となり、大消費地となった17世紀中頃になると、江戸の人口が京の人口抜いた。さらに元禄年間1700年頃には大坂人口が京の人口抜き以降幕末まで人口順では江戸大坂・京となった江戸の人口増の背景として、大消費地支え商業従事者増加のほか、飢饉貧困営農放棄した農民流入言われている。また、火事大火)が発生し易い気候土地造られ都市であったため建設業発達し大工細工師などの工人多く吸引したとも言われるまた、駿府政権時代駿府現在の静岡市葵区)は駿府九十六ヶ町と呼ばれる街区整備され江戸人口15万人)に次ぐ人口12万人擁し世界屈指の大都市として機能していた。そのため三都を江戸・上方(京・大坂)・駿府とする場合もある。

※この「三都(江戸時代)」の解説は、「日本三大都市」の解説の一部です。
「三都(江戸時代)」を含む「日本三大都市」の記事については、「日本三大都市」の概要を参照ください。

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