近世日本
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「佐田介石」も参照 日本には、16世紀後半まで地球という概念が存在しなかった。宣教師フランシスコ・ザビエルはその報告において、日本人が地球が球体であったという事を知らなかったと報告している。その後マテオ・リッチの坤輿万国全図が伝わり、南蛮図屏風などで円形の地球が描かれるようになった。 しかし近世儒学の祖の一人林羅山は、儒教的な秩序論により、この説に反対していた。羅山は宣教師ハビアンとの対談において、「万物にはすべて上下がある」とした上で、地球が球体であるというのは、儒教の渾天説の世界観を模したものであると非難した。また従来の須弥山的世界観を持つ仏教者の中からも、地球球体説に対する反発が起きている。 一方で、江戸幕府天文方の渋川春海は、地球球体説を含む西洋の天文学知識を取り入れていた。また国学の立場からも、本居宣長は「その説がよければ取り入れてしかるべし」として、儒学者や仏教者を批判している。
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近世日本
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「文治 (曖昧さ回避)」の記事における「近世日本」の解説
文治派 - 豊臣政権内部における派閥で、政務を担った諸将。武断派と対比される。 文治政治 - 江戸幕府の3代将軍徳川家綱から7代将軍徳川家継の時代の政治。武断政治と対比される。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。
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