近世日本の封建領主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 09:23 UTC 版)
近世日本の社会を封建と呼ぶことは既に江戸時代から始まっていたが、明治以降に進んだ西欧封建制との比較の中でも近世社会を封建制とみることが通説となっていった。マルクス主義歴史学においてもそれは同様で、特にカール・マルクスが『資本論』第1巻第24章での註記において、「日本に見られる純封建的な土地所有システムと発達した小農民経営は西欧中世像の再現である」旨を示したことは、近世日本が封建社会であったことの理論的根拠とされた。マルクス主義歴史学だけでなく、新渡戸稲造も『武士道』においてマルクスの記述に触れ、武士道の根元である封建制が西欧と日本に見られることを述べているように、その影響は小さくなかった。 マルクスによって、近世社会は純粋封建制と認識されるようになった。中世封建制と近世封建制とはあまりにも異質であるが、中世封建制が一旦解体した後に近世封建制が再建されたとする説が昭和初期から戦後にかけて唱えられた。再建されてより純粋な封建制が成立したとする見解である。1950年代には安良城盛昭の太閤検地によって封建制が成立したとする封建革命説が登場し、近世に純粋封建制が存在したことが理論的に補強された。これらの純粋封建制では、近世大名や一部の武士が封建領主とされる。
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