ジョングレイ運河
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/24 05:02 UTC 版)
20世紀初頭、スーダンの共同統治を行っていたイギリスとエジプトはスッドで蒸発する多量の河水を利用するため、運河の建設を討議した。1978年にジョングレイ州のボルとマラカル南部、白ナイルとソバト川の合流点を結ぶジョングレイ運河(英語版)の建設が計画された。現地の住民の合意を得ることなく開発が進められたために南スーダンでは反対運動が起き、環境問題に注目が集まり始めた1980年代に入ってヨーロッパでも計画の是非が議論される。1983年の第二次スーダン内戦においてはジョングレイ運河はスーダン人民解放軍の攻撃目標となり、全体の約70%の掘削を終えた段階で工事は中断された。 現在、南スーダン政府によってジョングレイ運河建設計画の再開が検討されている。
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