末期王朝とは? わかりやすく解説

末期王朝(第27 - 31王朝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:13 UTC 版)

古代エジプト」の記事における「末期王朝(第27 - 31王朝)」の解説

アッシュールバニパルサイス支配していたネコ1世エジプト統治委任し間接統治行った。この王朝第26王朝と呼ぶ。第26王朝当初アッシリア従属王朝であったが、アッシリア急速な衰退ともなって自立の度を深め紀元前655年にはネコ1世の子であるプサメティコス1世アッシリアからの独立を果たす。これ以後末期王朝時代呼ばれ、また第26王朝首都の名からサイス朝とも呼ばれるアッシリアその後滅亡し、その遺領エジプト新バビロニアリディアメディア4つ王朝によって分割された。プサメティコス1世次のネコ2世はパレスチナ・シリア地方へと進出したものの、紀元前605年カルケミシュの戦い新バビロニアネブカドネザル2世敗れてこの進出頓挫したサイス朝時代エジプトシリアめぐって新バビロニアその後小競り合い繰り返しながらも、上記オリエント4大国のひとつとして大きな勢力持ったが、紀元前550年メディア滅ぼしたアケメネス朝キュロス2世急速に勢力伸ばしリディアおよび新バビロニア滅ぼされるとそれに圧倒され紀元前525年にはプサメティコス3世アケメネス朝カンビュセス2世敗れエジプトペルシアによって征服された。 ペルシアエジプト支配121年間に及び、これを第27王朝と呼ぶが、歴代ペルシア王の多くエジプト文化干渉しなかった。しかしダレイオス2世死後王位継承争いによってペルシア統治が緩むと、サイス勢力持っていたアミルタイオスが反乱起こし紀元前404年にはペルシアからふたたび独立達成した。これが第28王朝である。第28王朝はアミルタイオス一代滅び次いで紀元前397年から紀元前378年にかけては第29王朝が、紀元前378年からは第30王朝立てられ、約60年間にわたってエジプト独立維持したが、東方統一する大帝国であるアケメネス朝はつねにエジプト再征服狙っており、それにおびえながらの不安定な政情続いた。そして紀元前341年アケメネス朝アルタクセルクセス3世軍勢最後エジプトファラオであるネクタネボ2世敗れエジプトペルシア再征服された。アルタクセルクセス3世エジプト信仰弾圧し圧政敷いた

※この「末期王朝(第27 - 31王朝)」の解説は、「古代エジプト」の解説の一部です。
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