王位継承争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 08:37 UTC 版)
「シール・アリー・ハーン」の記事における「王位継承争い」の解説
父により後継に選定され、1863年に王位に就いた。しかし、2人の異母兄アフザルとアズィームとの間に王位継承をめぐる争いが生じた。1864年にアフザルやアズィームらは反乱を起こし、1866年にシール・アリーは王位を奪われた。 アフザル(在位:1866年 - 1867年10月)は1867年に死去し、アズィーム(在位:1867年 - 1868年)が跡を継いだ。これに対し、シール・アリーも軍事力を回復。1869年に長男のヤアクーブ・ハーンの援助を受けてカーブルに入城した。王位継承争いに敗れたアズィームはイランに、またアフザルの子アブドゥッラフマーン・ハーンはロシア領トルキスタンに、それぞれ亡命した。
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