後期チャールキヤ朝からの独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 23:47 UTC 版)
「ヤーダヴァ朝」の記事における「後期チャールキヤ朝からの独立」の解説
ヤーダヴァ朝の名「ヤーダヴァ」は月種族ヤドゥの子孫ということを意味するが、同時代の史料では常に家名の「セーヴナ」と呼ばれている。ヤーダヴァ朝はラーシュトラクータ朝、後期チャールキヤ朝の封臣(諸侯)で、9世紀から12世紀まではセーヴナプラを本拠としていた。 12世紀末、ビッラマ5世は後期チャールキヤ朝が王位継承争いで衰退しているのに乗じて、デーヴァギリを都に定め、勢力を拡大した。後期チャールキヤ朝のソーメーシュヴァラ4世が1184年にカリヤーニの実権を握っていたカラチュリ家から実権を取り戻すと、1185年頃にソーメーシュヴァラ4世を攻撃して、これをカリヤーニから追放し、独立に成功した。
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