後期セルティックス王朝へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/04 14:14 UTC 版)
「1965-1966シーズンのNBA」の記事における「後期セルティックス王朝へ」の解説
不滅の記録を打ち立てたセルティックスは、節目の時を迎えていた。セルティックスの優勝を全て知る選手はビル・ラッセルだけとなり、さらにこのシーズンを最後にレッド・アワーバックがヘッドコーチから退いたのである。前年にセルティックスのオーナーでチーム運営を担当していたウォルター・ブラウンが亡くなり、彼の仕事を引き継いだアワーバックは多忙を極め、とてもヘッドコーチとの兼任は続けられなかった。アワーバックのコーチ辞任により、セルティックスの連覇記録は途切れることとなるが、絶対的な指導者が退いたことで王朝が瓦解したかと言えば、そうではなかった。アワーバックはプレーオフ期間中に後継者としてビル・ラッセルを指名し、シーズン終了後にはNBA初の黒人ヘッドコーチが誕生した。さらにこのシーズンのプレーオフで大活躍したジョン・ハブリチェックがセルティックスの新たな主役として台頭し、サム・ジョーンズと共に新たなウィングコンビを形成した。そしてアワーバック自身は人事部門責任者として辣腕を振るい、ベイリー・ハウエルの獲得など的確な補強を行っていく。セルティックスは衰えることを知らず、新たな顔ぶれのもとで次の時代を迎えることとなる。
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