後期スリーピートとは? わかりやすく解説

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後期スリーピート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:57 UTC 版)

マイケル・ジョーダン」の記事における「後期スリーピート」の解説

1994-95シーズン終了後オフジョーダンバスケットボール体型取り戻すべく、そして再び優勝を狙うために懸命にトレーニング行ったオフにはジョーダン主演映画撮影行われたが、映画撮影の場所付近にジョーダン専用のバスケットボールゴールを設置ジョーダン呼びかけに、ピッペン、オニールレジー・ミラーなどNBA主力選手集まりジョーダンと共に練習をした。後にジョーダンは、このオフ練習従来バスケットボール感覚取り戻し相手選手動き把握できるようになったといった。 1995-96シーズンが始まると、ブルズ快進撃続けNBA史上最高の勝利数狙えるほどの勢いだった。ジョーダン、ピッペン、そしてかつての宿敵デトロイト・ピストンズプレーしていたデニス・ロッドマンサンアントニオ・スパーズから移籍してきてリーグ最強3人組として注目集めたまた、欧州出身長身シューターであるトニー・クーコッチ優秀なディフェンダーであるロン・ハーパー陰かチーム支えたジョーダン自身は、1993年以前強烈なスラムダンカーというよりは、技巧的なジャンプシューターとしてプレーしていたが、平均得点30.4で8度目の得点王に輝くことになる。 シカゴ・ブルズ7210敗でレギュラーシーズン終えた。この勝ち数はゴールデンステート・ウォリアーズ2015-16シーズン記録するまでのレギュラーシーズン最多勝利記録(ウォリアーズ73勝9敗で新記録)であり、70勝を超えたチーム歴史上初だったブルズ数字史上最強のチームとしてプレーオフ臨みNBAファイナルシアトル・スーパーソニックス対戦敵地シアトルで2試合落としたものの、6試合目にシカゴ戻り4度目優勝決めたジョーダンは再びファイナルMVP受賞した。 続く1996-97シーズンブルズは前シーズンより3勝少な69勝でレギュラーシーズン終える。プレーオフでは、このシーズンブルズファイナル進出ウェスタン・カンファレンスからは、ユタ・ジャズが勝ち上がってきた。史上屈指の名コンビと言われるジョン・ストックトンレギュラーシーズンMVPカール・マローン相手に、シリーズは4勝2敗でブルズがものにする。初戦ブザービーター敵地ソルトレイクシティでの病気押してパフォーマンス注目されジョーダンが再びMVP選ばれた。ブルズジョーダン優勝回数は5回となっていた。 続く1997-98シーズンは、フィル・ジャクソン監督シーズン後退任早い時期から仄めかしており、ピッペンはチーム経営陣との関係を悪化させていた。強豪ブルズ今年最後かという観測を、マスコミジャクソン表現借りラストダンスという言葉表した復帰以降マスコミファンはしばしジョーダン年齢話題にするようになっており、「いつまでプレーするか」が関心の的になっていた。ジョーダンは「ジャクソン監督とピッペンが辞めれば自分辞める」と発言していたが、自身進退については明言避けていた。このシーズンブルズ2度目の「スリーピート」がかかっており、様々な意味で注目を集めることになったブルズNBAファイナル進出し対戦相手この年ユタ・ジャズだった。両チームともレギュラーシーズン6220敗だったが、シーズン中対戦成績勝っていたユタ・ジャズホームコートアドバンテージ得ていた。 5戦目までで3勝2敗でシリーズ舞台ユタ戻し臨んだ第6戦、ジョーダン残り5.2秒で決勝シュート決めブルズ6度目優勝2回目スリーピートもたらした。この時、解説者アイザイア・トーマスは「第4クウォーターマイケル殺し屋 (killer) だ」と述べたジョーダンシーズン終了後1999年1月13日2度目の引退発表した

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後期スリーピート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 00:37 UTC 版)

スコッティ・ピッペン」の記事における「後期スリーピート」の解説

失意のうちに終わったシーズンのあと、1995-96シーズンのシカゴ・ブルズ歴史に残る躍進遂げる。 復帰当初精彩欠いたジョーダンは、このシーズン再びリーグ最高の選手として活躍開始した。そして、前年屈辱的な敗戦、特にブルズ出てオーランド・マジック移ったホーレス・グラントプレイオフ大事な場面で活躍されたことはブルズ首脳陣インサイド頼りになる選手がいかに大切かを知らしめた。タイトル奪還するために補強する選手候補として名前が挙がったのが当時サンアントニオ・スパーズチームメイトとの確執によりチーム放出したがっていたデニス・ロッドマンであったデニス・ロッドマン当時すでに4年連続リバウンド王を獲得し、最優秀ディフェンス賞も2度獲得するなど実力文句なしだったが、その強すぎる個性性格のため周囲とのトラブル絶えず、さらにかつてブルズ苦しめ続けたデトロイト・ピストンズ一員だった。ピッペンはかつてプレイオフロッドマン突き飛ばされて顎に裂傷負い、「毎朝髭を剃るたびにロッドマンのことを思い出す」と言うくらい嫌っていた。しかし、彼はまた優勝するためにはロッドマンの力が必要だ理解しジョーダンと共に過去恨み捨ててチーム迎え入れることに同意するブルズ移籍したロッドマンはその年もリバウンド王を獲得しディフェンスポストプレーなどでもチーム確実に貢献していた。ピッペンは相変わらずオールラウンドな選手だった。ジョーダンロッドマン、ピッペンの3人はリーグでも最高のトリオと見なされ、シカゴ・ブルズリーグ席捲した。7210敗というNBA歴代最高の勝ち数でプレイオフ進んだブルズ昨年敗れたオーランド・マジック東地区の決勝で4連勝撃破ファイナルではシアトル・スーパーソニックス対戦、4勝2敗で4度目優勝飾った。 翌1996-97シーズンブルズ好調で、6913敗でレギュラーシーズン終える。シーズン中ロッドマンカメラマンへの暴行出場停止だった時期もあり、終盤故障者が出るなど昨年ほどの勝ち星ではなかったが、それでもNBA歴代2位タイ成績だった。プレイオフでは再び相手チームをほとんど寄せ付けない強さをみせ、東地決勝マイアミ・ヒート戦ではピッペンが相手ラフプレー悩まされたり、足首痛めるシーンもあったが4勝1敗で撃破NBAファイナル進みユタ・ジャズ対戦。第5戦でジョーダン体調不良危機的状況陥った場面もあったが、ピッペンがしっかりとジョーダンサポートしブルズ逆転勝ちジャズを4勝2敗で下し5度目優勝を果たす。 チーム歴史的にも最高のレベル達していたが、この時期よりピッペンとチームフロントとの確執公に語られるうになる1990年代NBA選手年俸高騰した時期だった。スター級選手数百ドルから数千ドル年俸を得るようになると、ピッペンの1991年結んだ契約時代遅れ見えてきた。個人成績受賞歴チームへの貢献度から言ってもピッペンはリーグでもトップクラス選手だったが、年俸リーグ100位以下でありチーム控え選手だったトニー・クーコッチより低かった加えてチームのジェネラルマネージャージェリー・クラウス個人との確執事態をさらに悪化させた。クラウス年俸に関しては常に渋く交渉の場ではしばし選手を傷つける発言をした。またクラウス好んでチーム遠征同行し、それが選手との関係をさらに複雑にした。ある遠征の時、スコッティ選手たちのいる前で公然とクラウス罵ったことがあり、それがマスコミ報じられる事態起きたスコッティはこのシーズン最中公にトレード要求したこともあった。 翌1997-98シーズンフィル・ジャクソン監督引退可能性語られ、またピッペンの去就もしばしば話題にされた。ジョーダンは「ジャクソンとピッペンが残れ自分も残る」と語り強豪ブルズ最後のシーズンになるかどうかファンマスコミ関心事だった。このシーズンブルズ2度目の「スリーピート」つまり6回目優勝かかっていた。 結局開幕前にピッペンのトレード行われず優勝メンバーそのままチーム6度目優勝を狙うことになったブルズだったが、昨シーズンプレイオフマイアミ・ヒート戦で痛めていたピッペンの足首回復せず、迷い続けた末に手術することを決断した開幕時期の手術によりピッペンは約3ヶ月近く欠場した為、長年自分に対してひどい扱い続けていたチーム首脳当てつけるための行為ではないかという憶測ささやかれた。万能選手だったピッペンを欠いたブルズ開幕直後に大苦戦し一時プレイオフ出場さえ危ぶまれ、ピッペンの存在大きさ改め証明された。その後残りメンバーたちは徐々に連携取り戻し献身的なプレーチーム支えオールスター戦の頃にはついに東地区の首位へ立つ。コートサイドでスーツ姿で試合観戦し続けていたピッペンは、次第チームメイト笑顔声援を贈るようになり、周囲とのわだかまりも少しずつ消えていった。そして2月試合でついに復活したピッペンへ観客から大声援が贈られブルズは完全に勢い取り戻した。このシーズンブルズ結局6220敗でリーグ1タイプレイオフブルズラリー・バードヘッドコーチつとめていたインディアナ・ペイサーズ最終戦まで粘られるなど苦しみながらもNBAファイナル進出し、再びユタ・ジャズ対戦昨年違ってホームコートアドバンテージのないシリーズで、休養十分なジャズに対して連戦続きブルズ今度こそ勝てないのでは? と不安視されていた。しかし、初戦敗れたものの、その後の3試合でピッペンが見事なディフェンスをみせ、何度も相手選手からオフェンス・ファウルを誘って攻撃リズム崩しブルズは3連勝一気優勝決定かと思われた第5戦だったがジョーダンとピッペンが共にシュート不調ブルズ敗れ、再び敵地ソルトレークシティ舞台を移すことになった。第6戦、試合序盤ダンクシュート決めたピッペンだったが、そのときそれまで激しディフェンス続け為に痛めた腰痛再発激痛ロッカールームへピッペンが下がってしまうとジャズ猛攻開始。常にリードされ続けブルズは、ジョーダンがこの試合45得点活躍で何とか離されずに付いていく。そしてピッペンはロッカールームで腰へ消炎剤塗り激痛に耐えながらコート戻って必死プレー見せる。試合終盤残り秒でジョーダンロッドマンマークに気を取られ相手エースカール・マローンからボールスティール、そして次のプレーシュート決めブルズジャズ1点差の逆転勝ち敵地苦しみ続けて最後優勝を手にしたピッペンは感激に涙を流し続けていた。 シーズン後ジャクソンジョーダン引退ブルズ最強チーム解体され再建へ入り、ピッペンはついに本人希望したトレードにより11年過ごしたチーム去った

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