再建へ
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郊外型のショッピングセンターとの競合やバブル崩壊後の百貨店売上の低迷を受けてそれまでの設備投資に見合う収益の確保が困難な状況が続いてきたところに、さらにリーマンショックが重なって一段と消費が落ち込んだことから、2008年(平成20年)12月に川崎店と横須賀店の近くを通る路線を持つ京浜急行電鉄に第三者割当増資を行って資本・業務提携して再建に乗り出した。 しかし、2009年(平成21年)2月期連結決算で売上高約688億円で純損失約26億円、有利子負債が約270億円で債務超過となったため、8月4日に事業再生実務家協会に事業再生ADR(裁判外紛争解決)による再建の申請を行って自主再建の断念に追い込まれた。 この再建策の一環として親会社でルーツとなった企業でもある雑賀屋不動産株式会社が解散・清算すると共に、創業者一族の持ち株も私財提供の形で負債返済の一部に当てられることになった。 そのため、同社が進めてきた藤沢駅北口のショッピングセンター構想からも撤退し、引き続き百貨店の営業を続ける横須賀店新館と付属施設として使用し続ける同店の南館・北館を2010年(平成22年)2月25日に当社が取得するなど同社関連の不動産の処理が進められた。 その他に当社が保有していた川崎店の不動産も2009年(平成21年)12月9日に約76億円で不動産投資を行っているMM投資組合へ売却してリースバックして営業を続ける契約を結んだことを発表され、2010年(平成22年)3月19日に正式に譲渡された。 3店舗の中で最も不振が深刻だった横須賀店は合理化のためかつての本館だった大通館を2010年(平成22年)5月11日に閉鎖して新館に売場の集約が図られ、同店を含む百貨店として事業を存続する店舗に各種の専門店を導入して集客力の拡大とテナント収入の確保を目指すことになった。 そうした専門店招致の一環として2010年(平成22年)5月に川崎店に洋服のサカゼンを導入したのを皮切りに手芸洋品店のユザワヤが7月に川崎店、2011年(平成23年)5月27日に横須賀店に開店して来店客数の増加と賃料による収益の安定的な増加の両立を図っている。 その他にも経営合理化の一環として2010年(平成22年)4月末に川崎店の外商が廃止され、5月から横須賀店も外商を大幅に縮小して、代わりに両店に外商顧客の来店を促すために6月1日に川崎店、同月9日に横須賀店に外商カードを持つ顧客向けのサロンを開設してコンシェルジュが店内での買い物をサポートする仕組みを導入した。 外商に代わる店頭以外の販売手段として2011年(平成23年)2月14日に生鮮食料品など約800品目を午前9時までに発注すれば神奈川県内全域に即日配達するサイトを立ち上げるなどインターネットでの販売力強化も図っている。 2010年(平成22年)2月1日に横浜銀行を中心とする7取引行が約26億円の債務免除に応じると共に横浜銀行が約7億円の第三者割当増資を引き受けて債務の株式化(デットエクイティスワップ)を行うなど総額約33億円の金融支援が行われることや、従業員の約30%に当たる当たる200人の希望退職者募集を行うことなどを盛り込んだ事業再生計画が成立した。 この事業再生計画の成立に伴い、岡本康英社長が3月23日の臨時株主総会後に退任して、藤沢店店長の岡本洋三が新社長に就任した(岡本洋三は岡本康英の実弟で岡本傅之助の孫である。)。 こうした再建策に伴う特別損失として不動産の売却損失約25.39億円や構造改善費用約17.29億円などを計上したため2010年(平成22年)2月期連結決算で純損失約106.33億円となったが、人件費などの経費削減が奏功し、2011年(平成23年)2月期連結決算で純利益約76.68億円と4期ぶりの黒字転換を実現して、有利子負債も約175億円まで圧縮された。 しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災の影響で東京電力による計画停電の対象地区に全店舗が入るなどして売上が計画を10%ほど下回る状況に陥ったため、5月20日に債務弁済の2年間猶予について金融機関から同意を得ている。 2010年(平成22年)10月1日からは当社の新しい主要株主の京浜急行電鉄の子会社京急百貨店と相互にオリジナル商品を供給し合う業務提携を始めたほか、ICカード乗車券PASMO(パスモ)を利用できるようにするなど京急グループとの提携強化による業績改善にも取り組んでいる。 2011年(平成23年)5月に横須賀店が地元の老人ホームと提携してホームが運行する送迎バスに駐車場を無償提供して老人ホーム入居者の定期的な来店を促したり、6月15日から公的年金支給日である偶数月の15日に65歳以上の顧客を対象にしたスマイルシニアデーお買い物券を発売したり、沢山食べられない高齢者世帯を考慮した総菜などの少量パックを拡充したりするなど高齢者の需要取り込みも進めている。 さらに、2014年(平成26年)11月1日からは、横須賀店が横須賀市とその南の三浦市の計14カ所を回る移動販売を開始し、高齢者を中心とする買い物難民への対応をするなど地域密着型の営業を強化している。 川崎店は土地・建物を売却後も営業を続けていたが、2014年(平成26年)4月9日にビル所有者側から定期建物賃貸借契約期間である2015年(平成27年)5月31日をもって建物の賃貸契約を終了するとの書面による連絡があったため、4月10日に2015年(平成27年)5月31日までで閉店することを急きょ発表した、当日に閉店。3日後の6月3日から川崎日航ホテル3階に小型店舗を開設して営業を継承することになった。そのため、川崎市は百貨店が存在しない最初の政令指定都市となり、2019年9月30日の伊勢丹相模原店閉店により相模原市が該当するまでは唯一でもあった。閉店後に解体されたさいか屋川崎店跡地には、2019年8月8日にパルコが地上2階建ての低層商業施設「川崎ゼロゲート」を開業させた。 さいか屋は2021年4月16日に、AFC-HDアムスライフサイエンスとの間で資本業務提携を締結。同年5月24日に岡本洋三社長が退任し、後任の社長には井出陽一郎が就任した。同年5月26日にAFC-HDアムスライフサイエンスに対して第三者割当増資が実行され、AFC-HDアムスライフサイエンスが保有する株式は筆頭株主である浅山忠彦(AFC-HDアムスライフサイエンスの子会社であるエーエフシー代表取締役社長)保有分と合算して50.36%となるため、同日付でAFC-HDアムスライフサイエンスの連結子会社となった。
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再建へ
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「ボルシア・ドルトムント」の記事における「再建へ」の解説
クラブの経営危機により前任者らは去ったが、クラブに残ったミヒャエル・ツォルクや、CEOに就任したハンス・ヨアヒム・ヴァツケらが中心となって経営再建を進めることになった。また、2008年に引退したラーシュ・リッケンがユースチームを担当し、チームは若手育成中心の体制となった。 2006-07シーズン、トマーシュ・ロシツキーをアーセナルへ、ヤン・コレルをASモナコへ放出。リーグ戦での不振によりファン・マルワイクは前半戦終了を待たずに解任された。最終的に9位で終えるも一時は残留争いに巻き込まれた。 2007-08シーズンはDFBポカールで準優勝しUEFAカップの出場権を得たものの、国内リーグでは1999-2000シーズン以来の二桁順位となる低迷が続いたが、平均観客動員はブンデスリーガで1位、欧州主要リーグ全体でもレアル・マドリードやマンチェスター・ユナイテッドFCに続く3位となる7万3000人弱を記録している(ホームスタジオの最大観客数8万3000人)。シーズン限りでクリスティアン・ヴェアンスが現役引退。 2008年夏、1.FSVマインツ05を躍進させたユルゲン・クロップ監督を招聘した。新加入のDFネヴェン・スボティッチがブレイクを果たし、リーグ2位の37失点と鉄壁を誇った守備陣を支えた。25節から7連勝で順位を上げ、UEFAヨーロッパリーグ出場権まであと一歩の6位に入った。ホームでは8勝9分と無敗で、シーズンを通しての敗戦数5はリーグ最少だった。 2008-09シーズン終了後にFWアレクサンダー・フライが母国のFCバーゼルに復帰したが、CSDコロコロで36試合出場34得点を挙げたパラグアイ代表FWルーカス・バリオスを獲得するなど、戦力維持に努めた。 2010年夏、エクストラクラサ・レフ・ポズナン所属の得点王ロベルト・レヴァンドフスキやセレッソ大阪所属のJ2得点王香川真司など各リーグで得点力の高かった選手らを獲得。レヴァンドフスキや香川をはじめイルカイ・ギュンドアン、ケヴィン・グロスクロイツ、マリオ・ゲッツェらがブレイクし主力の多くが23歳以下、スタメンの平均年齢が22~24歳という若いチームが完成、その勢いで序盤から安定的に勝ちを積み重ねたチームは2010-11シーズン前半戦終了時点でブンテスリーガ史上第2位となる勝ち点43を達成し首位で折り返し、圧倒的な強さで9シーズンぶり7度目の優勝を飾った。 2011年11月のチームの収支報告では、収入は前のシーズンの1億100万ユーロから大きく増えて1億5000万ユーロに、利益はチーム史上最高額の950万ユーロを記録した。一時は1億4000万ユーロ近くまで膨れ上がった負債額も、5600万ユーロと大幅に減らしている。 2011-12シーズン、チャンピオンズリーグはグループ最下位で敗退、リーグ戦も低調なスタートとなるも、その後はブンデスリーガ新記録となるリーグ戦28試合無敗・勝ち点81を記録し、優勝を争うバイエルン・ミュンヘンとの直接対決を香川の活躍で2戦2勝と制するなど圧倒的な強さを見せ、2シーズン連続8回目の優勝を達成した。さらに、DFBポカール決勝でもバイエルンを破りクラブ創設史上初の国内2冠を達成した。 2012-13シーズン、前年度の二冠達成メンバーの主力であった香川真司がマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソンに獲得されたことにより空いた穴を、マルコ・ロイスを獲得して埋めたがリーグではバイエルンの独走優勝を許し3連覇を逃し、DFBポカールも準決勝で敗退してしまった。一方でチャンピオンズリーグは、グループリーグでレアル・マドリード、マンチェスター・シティといった強豪と同組となるもグループ1位で突破。決勝トーナメントでも準決勝でレアル・マドリードを下し決勝に進出するも、決勝でバイエルンに敗れ16シーズンぶりのCL制覇を逃しチームは3シーズンぶりの無冠に終わってしまった。 2013-14シーズン、マリオ・ゲッツェがバイエルンに移籍したが、シャフタール・ドネツクでリーグ得点王となったアルメニア代表MFヘンリク・ムヒタリアン、ASサンテティエンヌからガボン代表FWピエール=エメリク・オーバメヤンを獲得した。リーグでは前年に引きつづき2位。UEFAチャンピオンズリーグ 2013-14では、決勝トーナメントに進出するも、準々決勝でレアル・マドリードに1勝1敗、2戦合計2-3で敗れ、ベスト8敗退となった。 2014-15シーズン、バイエルン二冠のため、ドルトムントがリーグ2位として出場したDFLスーパーカップでは2-0で勝利した。ロベルト・レヴァンドフスキがバイエルンに移籍したが、トリノFCからセリエA2013-14シーズン得点王のチーロ・インモービレ、ヘルタからアドリアン・ラモスを獲得し、マンチェスター・ユナイテッドから香川真司が2シーズン振りに復帰した。対戦相手に戦術が研究され尽くしたことや、放出したレヴァンドフスキの穴を埋められず、新戦力が軒並み不振に陥ったことで、リーグ戦では前半戦を最下位で折り返すなど混迷を極め、シーズン途中にしばしばクロップの解任論が出ていた[要出典]。しかし、ウインターブレイク後の後半戦から、右サイドのオーバメヤンをCFにコンバートし、右サイドにムヒタリアン、左サイドにロイス、中央に香川を配置したファンタスティック4の攻撃陣が機能して、チームは息を吹き返して徐々に順位を上げていく。シーズン中の2015年4月15日、本拠地であるジグナル・イドゥナ・パルクで記者会見を開き、ユルゲン・クロップ監督の今季限りでの退任を発表した。クロップとの契約は2013年10月の時点で、期間を2018年まで延長していたが、今季の状況を受けハンス・ヨアヒム・ヴァツケ (CEO) などと会談、最終的にそれを途中解除の形での辞任となった。後半戦での最下位からのV字回復によって最終的にリーグ戦は7位に終わり、CL出場権は逃したもののEL出場権を獲得。チャンピオンズリーグでは決勝トーナメント初戦でユヴェントスに合計スコア1-5で敗れベスト16で敗退した。DFBポカールでは、準決勝でバイエルンをPK戦の末に破って決勝進出するものの、ヴォルフスブルクに敗れて優勝を逃した。シーズン終了後にセバスティアン・ケールが現役引退。 クロップは、2008年にドルトムントの監督に就任して以降、「ゲーゲンプレッシング」と呼ばれる特徴的なプレッシングと選手の平均年齢が若いことを踏まえ、走力と速度を活かす戦術を創りあげ、その結果、7年間で3つのタイトル(ブンデス2度、ポカール1度)を得る結果をもたらすなど、チームの「復興」を印象づける功労者といえる存在だった。しかし、クラブの厳しい財政事情により、成長し活躍する選手を強豪チームに売却するというクラブの方針から、チームのやりくりには都度工夫を強いられた。 2015-16シーズンより元1.FSVマインツ05監督トーマス・トゥヘルが監督に就任した。契約期間は2015年7月1日より3年間。昨シーズン後半戦に活躍した主力選手の多くが残留した。移籍市場ではゴンサロ・カストロ、ユリアン・ヴァイグル、アドナン・ヤヌザイらを獲得した。また、昨年まではゲーゲンプレスをベースにしていたが、4-3-3をベースに4-2-3-1、4-4-2、3バックなどさまざまなシステムを使用した。UEFAヨーロッパリーグでは、決勝ラウンドでポルト、トッテナムを下し躍進をしたが、ベスト8でユルゲン・クロップ率いるリヴァプールに敗退。 2016-17シーズン、夏の移籍市場ではフンメルス、ギュンドアン、ムヒタリアンといった主力が移籍した。一方でセバスティアン・ローデ、マルク・バルトラ、マリオ・ゲッツェ、アンドレ・シュールレを獲得した。加えてラファエル・ゲレイロ、ウスマン・デンベレ、エムレ・モルといった若い選手も補強した。2017年4月12日、チャンピオンズリーグの試合の前に発生した爆発事件によってDFマルク・バルトラが負傷する事態に見舞われるも香川真司の活躍もあってASモナコを相手に2-3と健闘を見せたが敗退した。DFBポカール優勝もトゥヘル監督は2016-17シーズンをもって退任した。 2017-18シーズンは元アヤックス監督のピーター・ボスが監督に就任した。夏の移籍市場ではマフムド・ダフード、エメル・トプラク、マクシミリアン・フィリップらを獲得した。2月4日、ライプツィヒ戦で、相手クラブや幹部らを侮辱する垂れ幕が、ドルトムントサポーターにより大量に掲げられた。これによりドイツ連盟は、18日ホームでのヴォルフスブルク戦でスタンド全体の無観客試合と罰金10万ユーロを科して、クラブ側が受け入れを発表した。序盤は好スタートをきったものの徐々に失速し、ボス監督が成績不振により解任。後任には前ケルン監督のペーター・シュテーガーが就任した。就任時には8位だったクラブを4位へ押し上げ、UEFAチャンピオンズリーグ 2018-19の出場権を獲得し、シーズン終了後に退任した。 2018-19シーズンよりリュシアン・ファーヴルが監督に就任した。夏の移籍市場ではトーマス・デラネイ、アブドゥ・ディアロ、マリウス・ヴォルフ、アクラフ・ハキミ、アクセル・ヴィツェルなどを獲得した。ヴィツェル、ディアロら新戦力が早々とチームにフィットして守備が安定、また攻撃もトップ下で新境地を開拓した主将ロイスを中心に、途中出場から驚異的なペースで得点を重ねるパコ・アルカセルや期待の若手ウインガーのジェイドン・サンチョがブレイクし、攻守が噛み合ったチームは15勝3分1敗の首位でリーグを折り返し、チャンピオンズリーグでもアトレティコ・マドリードに4-0で勝利するなどしてグループステージを首位通過と前半戦は好成績を残した。冬の移籍市場では香川真司をベシクタシュへレンタルし、クリスチャン・プリシッチのチェルシーへの完全移籍が決定した。後半戦も勢いを保っていたが、2月5日のDFBポカールラウンド16・ヴェルダー・ブレーメン戦でロイスが負傷して1ヶ月間離脱する間に、リーグでは3戦連続引き分け、CLはラウンド16でトッテナムに0-3で敗れるなど一転して全く勝てなくなった。ロイス復帰後も他の故障者が増えてパフォーマンスが落ち、CLも敗退し、リーグも第28節のバイエルン戦に0-5で完敗すると、直後のルールダービーも敗れて2位となり、そのまま2位でシーズンを終えた。 2019-20シーズン、夏の移籍市場ではマッツ・フンメルスが3年ぶりに復帰した他、トルガン・アザール、ユリアン・ブラント、ニコ・シュルツといった国内の有望な若手を獲得し大型補強を展開。一方ディアロをパリ・サンジェルマンへ、ローデをフランクフルト、シュールレをスパルタク・モスクワに放出した。冬の移籍市場ではエムレ・ジャンの他、ザルツブルクでブレイクを果たしたアーリング・ハーランドを獲得した。CLはグループステージでバルセロナ、インテルが同居する「死の組」を引いたがインテルを上回って2位で通過。ラウンド16でパリ・サンジェルマンと対戦。ホームでの1stレグをハーランドの2得点で2-1で勝利したが、アウェーでの2ndレグで0-2と敗戦。2戦合計で2-3と逆転され敗退した。 2021-22シーズンよりマルコ・ローゼが監督に就任。しかし、それでもバイエルンとの差は縮まらず、無冠に終わりローゼは1年でドルトムントを追われた。
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