ミヒャエル・ツォルクとは? わかりやすく解説

ミヒャエル・ツォルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/14 10:20 UTC 版)

ミヒャエル・ツォルク
名前
本名 Michael Zorc
カタカナ ミヒャエル・ツォルク
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1962-08-25) 1962年8月25日(61歳)
出身地 ノルトライン=ヴェストファーレン州ドルトムント
身長 183cm
体重 73kg
選手情報
ポジション ディフェンシブハーフ
センターバック
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1998 ボルシア・ドルトムント 463 (131)
代表歴
1992-1993 ドイツ 7 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミヒャエル・ツォルクMichael Zorc1962年8月25日 - )は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ドルトムント出身の元同国代表サッカー選手である。引退後ボルシア・ドルトムントのスポーツディレクターを務めていた。

略歴

1978年にTuSエフィンク・リンデンホルストから入団して以来、1981年ブンデスリーガデビューからキャリアの全てをボルシア・ドルトムントで過ごし、長年チームの主将を務め、ファンからも愛された選手である。通算463試合に出場し131ゴール[1]、出場記録、得点記録共にクラブ最多記録である。

1994-95シーズン、33試合で15ゴールを決める活躍でクラブ初のリーグ優勝、翌1995-96シーズンにも30試合で15ゴールを決めてリーグ2連覇を果たした。1996-1997シーズンのUEFAチャンピオンズリーグに優勝、その年の12月2日東京国立競技場で行われたインターコンチネンタルカップでは先発出場、先制のゴールをあげ[2]、世界一に貢献した。1997-98シーズン限りで現役を退いた。プレーした17シーズンのうち7シーズンは二桁ゴールを挙げた。

1981年ワールドユースでは全試合先発出場、優勝カップを掲げたが、A代表とは縁がなく1992年12月16日ブラジル戦でようやくデビュー、翌1993年10月13日のウルグアイ戦まで、わずか7試合の出場に留まった。

父親のディーター・ツォルクは、ボーフムでプレー経験のある元サッカー選手。

引退後、ドルトムントのスポーツディレクターに就任した。2021-22シーズン限りで同役職から退任した。

タイトル

脚注

  1. ^ Michael Zorc karriere”. www.kicker.de. 6 June 2020閲覧。
  2. ^ FIFA CLUB WORLD CUP の歴史”. NTV. 2020年6月6日閲覧。

外部リンク

FIFA.com – Player Statistics






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