観客数
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「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」の記事における「観客数」の解説
警察発表6万人、主催者発表5万人、報道では6万5千人、7万人とも、7万5千人とも、チケット印刷7万4千枚、チケット発売枚数推定5万6千人などと、正確な観客数が不明で、食い違いがあるのは、現在のようなチケットの販売システムが確立していない時代で、正確な人数が把握できなかったためである。チケットは一律2500円で全国のイベンターに販売してもらいバスツアーを組んだものと、スタッフが東海道本線の沿線駅前のレコード店や喫茶店を手分けしてまわって置いてもらったものがあったが、当日券の存在がうやむやであったり、裏山から侵入した人が多数いた、最後はもうチケットがなくても"来る者は拒まず"で入れた、といわれるなど、発券数をはるかに超える人が入場したといわれるため、正確な観客数は不明である。
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観客数
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「マージーサイド・ダービー」の記事における「観客数」の解説
1984年のミルク・カップと同年のチャリティ・シールドでは100,000人以上の観客を集めた。1948年9月18日にグディソン・パークで行われた試合では、ダービーにおけるリーグ戦での最多観客数となる78,599人を集めた。1901年1月19日にアンフィールドで行われた試合では、ダービーにおけるリーグ戦での最少観客数となる18,000人を集めた。 1試合の観客数(リーグ戦に限る) #日付スタジアムスコア観客数1 1948年9月18日 グディソン・パーク エヴァートン 1–1 リヴァプール 78,599 2 1962年9月22日 エヴァートン 2-2 リヴァプール 73,000 3 1950年9月16日 エヴァートン 3–1 リヴァプール 71,150 4 1949年8月27日 エヴァートン 0-0 リヴァプール 70,812 5 1947年9月27日 エヴァートン 0-3 リヴァプール 66,776 6 1964年2月8日 エヴァートン 3–1 リヴァプール 66,515 7 1927年10月15日 エヴァートン 1-1 リヴァプール 65,729 8 1938年10月1日 エヴァートン 2–1 リヴァプール 64,977 9 1968年2月3日 エヴァートン 1–0 リヴァプール 64,482 10年間の平均観客数 期間エヴァートンのホームゲーム平均リヴァプールのホームゲーム平均2010– 39,592 44,677 2000–09 40,020 44,360 1990–99 39,107 41,823 1980–89 49,529 45,240 1970–79 55,502 54,168 1962–69 64,606 53,805 1946–51 63,529 50,697 1931–39 49,444 45,423 1919–30 51,590 50,694 1905–15 41,600 37,600 1894–1904 39,888 28,444
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観客数
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「セント・メリーズ・スタジアム」の記事における「観客数」の解説
このグラウンドの最大収容人数は報道関係者席、幹部席も含めて32,689人(全席座席)である。ただし、ノータムスタンドにはホームとアウェーのサポーターの緩衝地帯が設けられるため、通常の試合では上記の最大収容人数に達することはない。 現在の観客数の最高記録は、2012年4月28日のサウサンプトン対コヴェントリー・シティの試合で、観客数は32,363人であった。逆に最低記録は、サウサンプトン対シェフィールド・ユナイテッドの試合で、観客数は13,257人であった 。 クラブがFAプレミアリーグに所属していた2004-05シーズンまでは平均観客数3万人台を維持していたが、クラブが下部リーグに降格してからは観客は減少。 しかし、2009-10シーズンは、フットボールリーグ1(3部)に所属していたにもかかわらず、観客数が大幅に増え、2009年のボクシング・デー(12月26日)に行われたリーグ1のエクセター・シティ戦では30,890人の観客数を記録した。結局、シーズンの平均観客数は20,982人で、チャンピオンシップ(2部)から降格したシーズンにもかかわらず、3,000人近くも増加した。なお、カップ戦では、フットボールリーグトロフィーのミルトン・キーンズ・ドンズ戦で29,901人、その4日後のFAカップ・ポーツマス戦(サウス・コースト・ダービー(英語版))で31,385人を記録した。 引き続きリーグ1に所属した2010-11シーズンも、サポーターの後押しを受け、観客数は18,000人を切ることはなかった。このシーズンの最低観客数はヨーヴィル・タウン戦の18,623人、最多観客数はウォルソール戦の31,653人であった。 その翌年の2012-13シーズンにチームがチャンピオンシップに昇格すると観客数は急増。 さらに2013-14シーズンにチームが2004-2005シーズン以来のFAプレミアリーグを果たすと、平均観客数はほぼ2000年代前半と同水準の3万人台まで回復した。 その後のシーズンの平均観客数は、概ね30,000人から31,000人の間で推移し続けている。
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観客数
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「ブルフセ・スタッズデルビー」の記事における「観客数」の解説
クラブ・ブルッヘとサークル・ブルッヘは同じヤン・ブレイデルスタディオンをホームスタジアムとしているが、1試合平均観客数には2.5倍から3倍の差がある。クラブ・ブルッヘはスタンダール・リエージュやRSCアンデルレヒトと並んでリーグ最高クラスの観客を集めるのに対して、サークル・ブルッヘの観客数はリーグ中位にとどまっている。 シーズン平均観客数クラブサークル2007-08 26,367人(1位) 10,100人(7位) 2008-09 26,085人(2位) 9,791人(8位) 2009-10 24,963人(2位) 9,126人(8位) 2010-11 24,535人(2位) 8,635人(8位) 2011-12 24,344人(2位) 9,217人(7位) 2012-13 25,502人(1位) 8,409人(8位)
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観客数
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CBビルバオ・ベリーがビルバオ・アレナで開催したリーグ試合の観客数である。
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観客数
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「日本グランプリ (4輪)」の記事における「観客数」の解説
1980年代末から1990年代前半にかけてのF1ブーム期に、日本GPの観戦券はプラチナチケット化した。レースウィーク中の観客動員数は、1987年の24万7000人から1993年には35万人を突破し、最初のピークを迎える。1994年のアイルトン・セナの事故死後はF1ブームも一段落するが、その後も観客動員は31万〜32万人台で安定推移し、ホンダの第3期活動中の2006年に歴代最多の36万1000人(決勝日は16万1000人)を記録する。 しかし、富士開催の2007年から2008年にかけて一気に15万人以上が減少。鈴鹿に戻ってからも20万人を割り込み、日本人ドライバーの不在、ホンダ第4期活動の低迷、国内無料テレビ中継終了などの要因もあり、2017年には過去最低の13万7000人(同6万8000人)まで落ち込んだ。2018年は前年を上回る16万5000人(同8万1000人)を記録し、減少傾向に歯止めがかかり、2019年は令和元年東日本台風(台風19号)の影響で土曜の開催を見合わせたため過去最低の12万2000人に減少したが、この年レッドブル・ホンダが2勝し、山本尚貴がフリー走行1回目に出走したこともあり、金曜、日曜ともに観客数は増加している。 1987年以降のF1日本GP観客動員数年サーキット観客動員数備考木曜日金曜日土曜日日曜日合計(前年比)1987 鈴鹿 25,000 36,000 74,000 112,000 247,000 初開催に付き木曜特別走行を実施 1988 鈴鹿 37,000 75,000 121,000 233,000 (-14,000) 1989 鈴鹿 51,000 100,000 132,000 283,000 (+50,000) 1990 鈴鹿 60,000 115,000 141,000 316,000 (+33,000) 1991 鈴鹿 69,000 120,000 148,000 337,000 (+21,000) 1992 鈴鹿 56,000 126,000 150,000 332,000 (-5,000) 1993 鈴鹿 67,000 132,000 151,000 350,000 (+18,000) 1994 鈴鹿 67,000 135,000 155,000 357,000 (+7,000) 1995 鈴鹿 60,000 125,000 145,000 330,000 (-27,000) 1996 鈴鹿 54,000 110,000 139,000 303,000 (-27,000) 1997 鈴鹿 65,000 112,000 140,000 317,000 (+14,000) 1998 鈴鹿 50,000 120,000 148,000 318,000 (+1,000) 1999 鈴鹿 52,000 120,000 146,000 318,000 (0) 2000 鈴鹿 52,000 115,000 151,000 318,000 (0) 2001 鈴鹿 50,000 110,000 150,000 310,000 (-8,000) 2002 鈴鹿 53,000 118,000 155,000 326,000 (+16,000) 2003 鈴鹿 54,000 120,000 155,000 329,000 (+3,000) 2004 鈴鹿 54,000 0 156,000 210,000 (-119,000) 台風接近のため土曜日程中止 2005 鈴鹿 54,000 110,000 156,000 320,000 (+110,000) 2006 鈴鹿 57,000 143,000 161,000 361,000 (+41,000) 2007 富士 52,000 90,000 140,000 282,000 (-79,000) 2008 富士 37,000 71,000 100,000 208,000 (-74,000) 2009 鈴鹿 31,000 78,000 101,000 210,000 (+2,000) 2010 鈴鹿 33,000 61,000 96,000 190,000 (-2,000) 2011 鈴鹿 35,000 62,000 102,000 199,000 (+9,000) 2012 鈴鹿 41,000 64,000 103,000 208,000 (+9,000) 2013 鈴鹿 33,000 52,000 86,000 171,000 (-37,000) 2014 鈴鹿 30,000 48,000 72,000 150,000 (-21,000) 2015 鈴鹿 30,000 54,000 81,000 165,000 (+15,000) 2016 鈴鹿 27,000 46,000 72,000 145,000 (-20,000) 2017 鈴鹿 26,000 43,000 68,000 137,000 (-8,000) 2018 鈴鹿 31,000 53,000 81,000 165,000 (+28,000) 2019 鈴鹿 33,000 0 89,000 122,000 (-43,000) 台風接近のため土曜日程中止 マウスポインタを棒グラフの各要素に合わせると、各年の数値がポップアップする。 10 20 30 40 1990 1995 2000 2005 2010 2015 決勝(日) 予選(土) フリー走行(金)
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